信長の経済力の源である津島をじっくり歩いて改めて知るツアー終了

ツアーのご報告

2025年3月1日、信貞によって攻められて?支配下に入り、信秀・信長の躍進を支えた津島。その見どころをフルコースで歩いてみました。鳴海中日文化センターの講座です。フルコースというのは5km超の3時間コースですが、皆さん、しっかり歩いていただけました。

常楽寺、信貞が攻めたとされる奴野城(西方寺)、大橋家の本蓮寺、本町筋から屋根神様の渡辺家住宅、遥拝所の堤下神社、観光交流センター(一休み)、成信坊(教如の身代わり)、市神社、宗念寺、信貞・信秀が宗長を饗した不動院、服部小平太の菩提寺である雲居寺、信忠・信雄の文書をもつ大龍寺、加藤清正が幼少期を過ごした清正公社、津島神社と宝珠院・弥五郎神社、津島湊、瑞泉寺、興禅寺、蓮台寺、信秀の安堵状が残る観音寺と白山神社など見どころばかり。

途中、修理のために出ていた秋祭りの山車も見られました。地元の方からは祭りの厳しい人材事情も話しをうかがえました。こうした伝統を守るのは大変であるということ。

南北朝時代の話が津島にはあり、後醍醐天皇の孫の代の活躍を書いた『浪合記』の影響が色濃いため、なかなか微妙な話もあります。また織田弾正忠家の津島支配は、おそらく1524年以前からではないかと思ったり(宗長の来た26年にはすでに領主として認められているゆえ)。まだまだ考えないといけない津島です。(下の写真は観音寺ギャラリーの見事な絵。御朱印もこうした絵となります)

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