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第175回 信長に勝った事がある知られざる武将の特別展「家康を支えた武将 松井忠次」開催中

2023年8月22日岩瀬文庫一階には漫画家すずき孔氏が描くカッコいい松井忠次が飾られている愛知県西尾市に日本初の古書ミュージアムと銘打った「岩瀬文庫」という施設があります。どんな施設かはホームページから引用させてもらいます。引用:西尾市岩瀬...
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織田信秀は「松平の血統の後継者としての竹千代を尾張で育成しようとした」

中世末期を考える上ではいわゆる徳川史観を排除しなくてはならないわけで、家康と徳川幕府が作った都合の良い歴史を見直すことが課題なわけです。そこでこのところずっと考えている、松平広忠がなぜ幼い家康(松平竹千代)を織田の人質としたのか。これについ...
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稲生の戦いの背景がまた一つわかりました。林秀貞は尾張旭の人なんだ

今は公園ですが、ここが狩宿城址。サイゼリアの方向が南先日、東海古城研究会の後藤さん主催の歴史討論会「論論壇」でご教授いただいたことでやっと少し長年の疑問が晴れました。それは、林秀貞の本拠は狩宿(尾張旭市)だったということ。若き信長最大の危機...
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信長は何歳で那古野城主となったのか

若き信長の時代の東海道である「鎌倉街道」は、京に向かう場合、笠寺方面から熱田社へ、そこから北へ行き、古渡で西に向きを変え、露橋、中村、萱津と北東に進み、清須に向かいました。事あれば熱田を守れ、守護所の清須へも最短で行ける古渡の地は、信秀が城...
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昭和4年の善照寺砦からの眺望

古いビデオを見てましたら、こんな画像が。善照寺砦から南方向を写した写真のようです。どういう焦点距離のレンズで撮ったものなのか、遠近感がなんだかよくわかりませんが、信長の時代もこんな感じに見えていたのでしょう。ここを義元たちが撤退していくのを...
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信長家臣という水野右京進は誰だろう? その1

水野氏の話私の出身地である名古屋市守山区志段味には水野氏という武士がいました。この水野氏は平姓で、平高家という人が1324年に下司職に任じられて志段味の地に来ました。その子の高康が承久の乱で朝廷側となって実子有高が戦死したため、弟高俊を養子...
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『戦国時代を変えた合戦と城』の「福島」について

千田嘉博・平山優・鮎川哲也(構成)の新書『戦国時代を変えた合戦と城 桶狭間合戦から大阪の陣まで』24年10月30日発行(朝日新聞出版)では、どうも我々の「新説・桶狭間の戦い」を批判されているようです。それはおいおい反論していくとして、この本...
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愛知県史で『信長公記』首巻を読み直す

あけましておめでとうございます。今年は、太田牛一(おおたうしかづ)の信長公記(信長記)首巻の陽明文庫本(いわゆる陽明本)と天理図書館本(いわゆる天理本)を『愛知県史 資料編14 中世織豊』でまた読み比べてみようと。まず冒頭、「去程尾張国八郡...
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桶狭間前に信長の見た熱田の海岸線を再確認しました

24年11月24日に愛知県埋蔵文化財センターの主催で「いにしえの都市『熱田』2500年の歴史を考える」というシンポジウムが開かれ、そこで京大の山村亜紀先生が「中近世熱田の都市空間史」という講演をされ、16世紀前期の熱田複原図を示されました。...
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東海古城研究会の会報『城』236号(24年11月1日発行)に正光寺砦・氷上砦について寄稿しました

桶狭間の戦いで重要な意味を持つと考える正光寺砦と氷上砦に関して、昨今、存在すら疑わしいという論調が出始めています。それに対して、その戦略的な意味を考えながら「存在」を確認することにしました。正光寺砦とそこにいた将兵が、戦いの前にどうなってい...