新説講演動画

愛知学院大学モーニングセミナーでの講演「新説!桶狭間の戦い ~これですべての謎は解ける~」

一年前の2024年2月13日に愛知学院大学モーニングセミナーで「桶狭間の戦い」の新説をお話させていただきました。約一時間ですので、お聞きいただければ幸いです(動画へのリンクは2枚目の写真です)。
日々思うこと

8月になると、秋にかけて歴史展示や講座がたくさん予定されていますね

今年もあちこちで歴史講座がいろいろ開催されるようです。東海地区で信長関連となりそうな情報をひとまずまとめてみました。● 8/8~10/13 岐阜市博物館特別展「岐阜城と織田信長―発掘成果から考える岐阜城の姿―」 ・8/31(日)講演会「織田...
日々思うこと

今年は長篠の戦い450年なんだ。桶狭間から15年が過ぎました

2025年8月23日に金山の日本特殊陶業市民会館で、高橋陽介氏による長篠合戦のお話があります。おそらくこれまでの通説とはちょっと異なる見解が出ると思われます。東海古城研究会のセミナーですが非会員も入れます。以下ご案内から。東海古城研究会 城...
考察

『信長公記』首巻は概ね信用できる、とはとても思えない、と考え始めています

鳴海の中日文化センターでの2025年度前期講座では、『愛知県史資料編14』に掲載されている陽明本と天理本の『信長公記』首巻読み比べをベース史料として、『信長公記』首巻を今一度考え直すことをしています。首巻を最初から読んでいくと太田牛一はけっ...
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伊勢で食べた伊勢うどんと棊子麺

ぷよぷよ麺の伊勢うどん。先日、25年6月21、22日と伊勢に行ってきました。その詳細はいずれ書きたいとは思っていますが、なにせすごい情報量なので、整理して信長の時代に絞り込めたら、また書こうと思います。今回はフィスブックにも書いた、伊勢うど...
日々思うこと

これで定説は見事に否定されたなあ、と思った講演会 「定説」はいかに作られたかー関ヶ原本戦の布陣地の変遷を追うー

50億円を超える費用で整備された記念館 25年6月15日、関ヶ原古戦場記念館で行われた早稲田大学大学院生の小池絵千花女史(1996年生)による講演を聞いてきました(撮影NG)。関ヶ原合戦は専門外ですが、桶狭間と共通することが一つあってそこだ...
考察

永井直勝の展示は素晴らしかった。豊田市博物館コレクション展示「織田信長象と長篠・長久手合戦屏風」と碧南市藤井達吉現代美術館「永井直勝没後四〇〇年 長田・永井一族」へ

信長のお姿を見られるのは25年6月15日までということで、一年前に建てられた豊田市博物館を学芸員ギャラリートークに合わせて訪問。2019年の6月には修復が終わった信長像が豊田市美術館で公開されており、その時も観に行っていますので、素晴らしい...
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信秀の敗走ルートを歩いてみました

岐阜駅前の「黄金の」信長像の後ろ姿 鳴海中日文化センターの講座「父信秀が負け、信長が勝った岐阜の痕跡を歩く」として25年6月7日、井ノ口(岐阜市)を歩いてきました。信秀が天文十三年(一五四四)に美濃へ攻め入ったことは事実ですが、自らの領土野...
新説講演動画

新解釈「桶狭間の戦い」 『歴史群像』2019年10月号掲載  文=かぎや散人(歴史研究家)  構成=水野誠志朗

2019年に、雑誌『歴史群像』で発表した、新解釈「桶狭間の戦い」の全文を掲載します。これはかぎや散人氏の原稿を水野が構成して、さらに歴史群像編集部の校閲を経たものです。やや難解な部分は、おいおい解説を加えていきます。第一回 研究史と通説信長...
日々思うこと

お知らせ「リンク切れを修正しました」

中日新聞Webの「達人に訊け」というコーナーで10年以上書いてきた記事をこちらのブログへ移したのですが、中日新聞のサイト閉鎖に伴って、多くの画像がリンク切れになっていました。気がついて、ローカル保存してあった画像をアップし直したのでけっこう...
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信秀の痕跡を探って、信長元服の古渡城址界隈を歩く

東別院の中にある古渡城址碑25年5月10日に鳴海中日文化センターの講座として「信秀の痕跡を探って、信長元服の古渡城址界隈を歩く」と題して、地下鉄東別院駅から金山駅までを歩きました。織田信長の父である信秀は、天文7年(1538)年に那古野今川...
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ひとまず見ておくべきリニューアルした「安土城考古博物館」に行ってきました

昨日(2025年4月16日)、信長の安土城の裾野にある安土城考古博物館へ行ってきました。3月18日にリニューアルオープンしております。4月26日からは特別展「安土城・2025ー信長の夢のあとー」が開催されるので、その混雑を避けるべく行ってき...
考察

半田の生せんべいは、桶狭間から撤退する家康に献上されていた、という地元伝説

桶狭間の戦いの後、家康がどのように三河へ帰ったかに関しては様々な説がありますが、水野信元の勢力範囲を通過して、成岩(ならわ・半田市)の常楽寺から船で衣浦湾を渡って大浜(碧南市)についたというのが最も納得しやすいと考えています。もちろんそれは...
考察

「新説・桶狭間の戦い」で新説落語、桂九雀師匠のネタおろしは大盛況

25年4月5日、那古野一丁目のレピリエ(バー・パブリカ)で上方落語家桂九雀師匠によって「新説・桶狭間の戦い」の落語が初お披露目されました。一年前、名古屋の劇作家北村想氏の名作「寿歌」の舞台をレピリエで観たあと知り合った桂九雀師匠と話をするう...
中日Web「尾張時代の信長をめぐる」過去記事 

第185回 若き信長のこと、名古屋城木造再建のこと、そして「中日web達人に訊け」最終回のご挨拶

2025年1月13日できたばかりの頃の名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園にある信長と義元の像。今も変わらずここに(2011年4月の撮影写真)12年以上連載を続けさせていただいたこの記事も今回が最終回ですので少し思うことを。私はもともと自動車ライ...
中日Web「尾張時代の信長をめぐる」過去記事 

第184回 本当に佐々成政は信長を暗殺しようとしたのか? そして10月からは信長の前半生を歩きます

2024年9月28日信長自ら脇差しを口に加えて水中に入り、大蛇を捜したという蛇池は今も残る9月7日に鳴海中日文化センターでお話した、信長の有名な家臣・佐々内蔵佐成政についての話ですが、こちらでも少し紹介しておきたいと思います。佐々成政も信長...