鳴海中日文化センター24年度後期講座第五回は信長時代の熱田へ。京都大学の山村先生が信長時代の海岸線を復元されたので、その地図を持って当時の熱田の海岸はどこかを確認してきました。行列のできる鰻屋熱田蓬莱軒の前の道こそが信長時代の海岸線。現在の七里の渡し跡の公園は、干拓が進んだ江戸時代のもの。信長の時代は鰻屋のあたりが港ということになります。
ということは、桶狭間の戦いの前に源太夫宮の前の浜から、鷲津砦が落ちた煙が見えたという場所はまさにうなぎ屋の東、あたりということに。そこを確認して、更に須賀の町を北西に進み、本遠寺と瀧の坊を確認しました。里村紹巴は本遠寺で歌を読んだあと、大高城へ行き、そこで信長の長島攻め(斎藤龍興を追った軍勢)の明かりが見えたとしますが、さて?
瀧の坊は宗長が守山で興行してから(松平信定の新地祝の宴)やってきた寺で、幼い信長が学問のために使った硯があるという寺ですが、真相は不明。そこから熱田社へ行き、享禄古図をもとに旧参道や復元された土用殿見て、信長が修理したという海蔵門の礎石を数えるというマニアックな展開へ。最後は信秀が津島神社から勧進したかもしれない丹塗り白壁の南新宮社で本日は終了しました。
2月初めですが、そう寒くもなく、快適な街歩きとなりました。夏は暑すぎてなんともなりませんが、冬は問題なく歩けるというあたり、この数年で気候は大きく変わりましたね。鳴海中日文化センターの2025年度前期講座は、座学中心にせざるを得ません。さて何を演るべきか、まだ思案中です。
