永井直勝の展示は素晴らしかった。豊田市博物館コレクション展示「織田信長象と長篠・長久手合戦屏風」と碧南市藤井達吉現代美術館「永井直勝没後四〇〇年 長田・永井一族」へ

考察

 信長のお姿を見られるのは25年6月15日までということで、一年前に建てられた豊田市博物館を学芸員ギャラリートークに合わせて訪問。2019年の6月には修復が終わった信長像が豊田市美術館で公開されており、その時も観に行っていますので、素晴らしい色の残る絵自体は特に思うところないですが、ずっと気になっていた、耳の上の部分の髪の欠損について、学芸員に聞いてみたら「虫損です」と割にあっさり答えられてしまいました。とはいえ、他にそれらしき虫損はないのでなぜここだけ、とちょっと腑に落ちないままです。

 この信長像は束帯姿(神戸市立博物館所蔵)ではない「カジュアル」な衣装なので、余語正勝が狩野元秀に「スーツ着てない上様のいつもの普段着姿も、個人的に残しておきたいんだよね」と注文したのでしょう。かた苦しさを嫌う信長ですから、こういうスタイルが家臣にとっては信長そのものだったのではないでしょうか。束帯姿の絵の讃には「捴見院殿贈大相國一品㤗巖大居士」とあり、こちらは「天徳院殿一品前右相府 泰岩浄安大禅定門」で政治的思惑は別として、泰巌と泰岩で、岩の字もちょっとカジュアルw 束帯姿は布に描かれた絹本(けんぽん)で、こちらは紙本(しほん)でやっぱりカジュアルww。共に現代感覚でそう思うのですが、当時もそうですよね、きっと。

 豊田市博物館には豊田市四郷町の浦野家伝来という長篠合戦屏風と長久手合戦屏風も展示されていました。気になったのは屏風より浦野家。現在は元治元年(1864)創業の「菊石」という銘柄の地酒蔵元ですが(菊石はかつて、大変美味しい酒として飲んだ記憶があります)、もともとは信長家臣で八草城主であった浦野源太郎の末裔とされているようです。浦野源太郎って誰?と『織田信長家臣人名辞典』を見ると元亀元年(1570)に浅井・朝倉軍と戦って討ち死にした浦野源八という人が載っています。酒井政尚(まさひさ)に所属していたヵとされ、それ以外はわかりません。しかし源八と源太郎ですから何らか関係がありそうです。八草城関係史料では浦野という名を見たこともありません。ただ、この屏風は高橋郡・寺部城主の渡邉守綱がたくさん登場しており、浦野家へは渡邉家からの嫁入り道具として伝わったという話です。高橋郡の近世地誌関係をもっと調べてみないと、今のところよくわかりません。

 で、この屏風は犬山・成瀬家所蔵の屏風が元絵のようです。その成瀬家の屏風が展示されていたのが、碧南市藤井達吉現代美術館で開催中(25年7月6日まで)の「永井直勝没後400年 長田・永井一族展」です。HPから引用するとこの展示は、
 「碧南出身の戦国武将・大名に永井直勝(1563-1625)がいます。2025年、直勝が没後400年を迎えるのを記念し、直勝を生んだ三河大浜の長田家と永井家の一族の歴史を紹介します。
 直勝は徳川家康の側近として仕え、その子孫から大和櫛羅・美濃加納・摂津高槻の3大名家を輩出しました。また直勝の父・長田平右衛門は平氏の子孫と伝え、直勝が三河を出て以降も、長田家は大浜の熊野神社の神職として明治を迎えました。本展では永井直勝をはじめ、長田・永井一族に関する資料を展示します。」ということです。

 重要なのはこの長田家が信長初陣の相手だったということ。今回の展示には江戸後期の大浜「熊野権現主家当主長田氏」が書いた「信長によって社殿が焼かれた」という由緒書きが展示されています。碧南市の大浜は、三河の津島と言えるような重要な貿易港だったようで、松平信忠(家康曽祖父)の隠居地でもあり、この時代の出来事の様々な現場となっています。本能寺のあと家康が戻ってきた場所は大浜でした。この大浜の長田氏は平氏とされ、知多の野間で頼朝の父義朝を討った長田忠致の兄の長田親致の流れとされ、長田氏は南北朝時代には海運を通してか尾張津島との関係も見られる家です。展示ではこのあたりがまとめられており、たいへんわかりやすい。

 また展示されている天文19年の今川義元文書には大浜を9歳の竹千代(家康)の所領と認めています。なぜ他の地域のように攻め取って直轄化しないのか、そのあたりがもうちょっと知りたいところですが、桶狭間へつながる当地の状況がわかります。

 桶狭間の戦いの3年後に大浜で生まれたのが長田伝次郎直勝です。長じて長久手の戦いで長田伝次郎(永井直勝)は池田恒興を討ち取っており、その合戦屏風(犬山城主成瀬家所蔵もの)が今回展示されています。直勝は戦いの後、家康から永井を名乗らされましたが、これは源氏を称する家康にとって、義朝を討った平氏長田が家臣にいるのはよろしくないからでしょう。その後、直勝から始まった近世・近代の長田・永井一族の話が、この展覧会ではたっぷり展示されています。直勝以前の長田氏はまだわからないことも多くいですが、大浜と松平氏との深い関係もあり、三河においてはかなり重要な一族だったと思われます。ちなみにこのあたりの話は村岡幹生氏(中京大学名誉教授)の記念講演会「戦国織豊期における大浜の神官武家長田氏の動向」を聞きたかったところですが、満席で聞けなかったは実に残念でした。

この図録は1000円で販売中ですが、素晴らしい充実度。買っておくべきでしょう。
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