
「豊臣兄弟!」第一回で、中村に山などないというもっともなご意見がありますが、今どきだだっ広い平野のロケ地は無理ということでしょう。また名古屋弁じゃないというのもありますが、あの時代の話し言葉はそもそも発音が違っていたという研究もありますので、まあこだわらなくてもいいのでは。
中村は上、中、下と別れていたようで、秀吉は中中村の出とされ、でも豊国神社や常泉寺の産湯の井戸は上中村にあるのでなんか違うんじゃないのというw ちなみに当時の主要道である鎌倉街道が村の脇を通っており、中村からは清須も古渡へも、さらには美濃も遠江へも自在に行けました。
人や物も頻繁に移動していたはずで、そういう地の利が若き秀吉の放浪と人物形成にプラスだったのではないかと思います。その意味では中村は、描かれたようなかなりの田舎ではなかったのではないかなあ、と思っています。
秀吉の頃にどうなっていたかはわかりませんが、それより200年ほど前の鎌倉時代には、上中村のとなりの東宿は、庄内川の渡しの船待ち宿(遊郭あり)として繁盛したようですから、そういう雰囲気もあったのかも(現在の中村といえば中村遊廓跡ですけどw)。

舞台となっている尾張中村三郷(上、中、下中村)は、信長の父信秀の時代から、織田(津田)玄蕃允(名は秀敏ヵ)が治めていたと思われる地域で、信長も天文21年(1552)10月に(信秀から信長への)代替わりの安堵状を出しています。この玄蕃允は中村の西1.8キロほどにある稲葉地村、稲葉地城の城主で、中村を含めたこの一帯がこの人の領地と信長も認めていたということでは。
玄蕃允は、斎藤道三から信長を支援して欲しいという書状を1552年6月にもらっているほどの尾張の実力者であったようで、その点から考えると「豊臣兄弟!」で玄蕃允が治める中村を、繰り返し野盗集団が襲うというのはちょっとありえないと思えます。この時代の治安は良かったはずで乱暴狼藉は信長が許さないはず。まして鉄砲を放つような武装集団が中村の集落を蹂躙するというのは考えづらいところです。
もし考えられるとしたらこの集団は信長方の豊かな穀倉地を荒らす今川方の調略を受けたゲリラということになるが、1559年には中村あたりで信長を脅かす勢力はほぼいなくなっているはずで、それもちょっと設定に無理があるように思われますね。
小一郎が連れ去った直の父、坂井喜左衛門は、中村でなく9キロほど離れた守山の人(『信長公記』)。守山城の家老的なスタンスで1555年の守山城騒動以降に、信長方に寝返っているようなので、その褒美で中村あたりに領地をもらって、1559年ごろにはこの地である程度の力を持っていた可能性はなくはないかな。坂井氏の一族は今川方となった人が多く(おそらく元々は那古野今川氏の家臣)、いろいろ裏がありそうな人物として描かれるのは的を得ているかもしれません。しかしそうなると小一郎と直が幼馴染というのはちょっと時間経過が合わない。面白おかしいドラマに整合性を求めるのも無粋というものでしょうけど。第三回(もしかすると第四回)ではいよいよ桶狭間の戦いのようなので、期待して観たいところです。
