第33回 敦盛を舞った信長、なぜか意外にゆっくりと熱田神宮へ向かう

中日Web「尾張時代の信長をめぐる」過去記事 

※この記事を書いた当時はまだ新説に至っておらず、現在の見解とは異なっている部分があることをご了承ください。

2013年10月23日

尾張領内に確保していた大高城や鳴海城を救援すべく、3万とも5万とも言われる大軍を率いて、1560年(永禄3年)旧暦5月17日に沓掛城に入った今川義元。その後、大高城に兵糧を入れることに成功しました。

こうした義元の動きは18日夕刻に清須の信長へ、丸根砦の佐久間盛重と鷲津砦の織田秀敏から報告されました。ところがそんな緊迫した情勢のその夜、城に集まった家老衆に信長は何も指示せず、世間話をした後、「深夜になったので帰っていいぞ」と言ったため、「運の末には知恵の鏡も曇るとは比節なり」と家老衆は嘲笑いながら帰ったといいます。

家老たちには「運が尽きれば知恵も出なくなるものだ」と、信長はもはや手詰まりとなったと見えたのでしょう。かつて水野信元を助けた村木砦の戦いの折も、多くの家老が戦いに参加しませんでしたが、今回も様子見を決め込んだようです。

大高城や鳴海城を包囲する砦を自ら築いて、義元を駿府から引っ張りだしているように思える信長ですが、ここで家老集を味方に付けないとは、いったい何を思っていたのでしょうか。

考えられることは家老衆など使わずに、自らが鍛えた親衛隊、および絶対的に忠誠を誓う家臣のみで戦おうとしていたということでしょう。家老と言っても尾張各地の郷士であり、独立した家の主です。信長の下知通りに動くとは限らず、裏切ることもあり得る。そこでそういう連中は使わない。

それより育て上げた親衛隊やその他の家臣(諸説ありますが、津島衆、熱田衆、また遠く今の岐阜県中津川市苗木の遠山氏など)といった、信長を慕って忠節を誓う人々にあらかじめ声をかけ、すでに桶狭間周辺へ向かわせていたと考えたいところです。

敵の城の周りに砦を作った時から、考えられていた作戦で、その意味では、一種の奇襲をかけるつもりだったのでしょう。

案の定、明け方になると鷲津や丸根の砦に今川方が襲いかかってきました。佐久間盛重らから知らせが届きます。信長は飛び起きて有名な敦盛を舞います。

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」

ここにまさに勝負をかける信長の意思が現れていると思います。尾張一国を18才から6年をかけてひとまずは統一した26歳の信長ですが、分別は付いているにしろまだまだ若く、自身の武運をこの一戦に賭けたのでしょう。

この前年に上洛して、将軍に拝謁し、京や堺といった天下を自身の目で見てきた信長は、尾張一国を越えて拡張していく自分自身の姿を夢見たはずです。その一歩として、まずは東の脅威、今川の勢力を尾張国内から一掃しようと考えたのではないでしょうか。

とはいえこの時、今川義元を討ち取るところまではさすがに考えていなかったと思います。義元は大高城、鳴海城を確保しようとした、逆に信長はその2つを奪還しようとした、それが桶狭間の合戦のきっかけでした。

敦盛を舞った信長は「(出陣を知らせる)法螺貝を吹け、具足をよこせ」と言って、鎧を見につけ、立ちながら飯を食い、兜をかぶって出陣。その時ついてきたのは、小姓衆6名だけでした。

この時、一気に駆けて熱田神宮へ向かったように思われていますが、実は2時間ほどかかっています。旧暦5月19日は新暦で6月11日ですから、日の出は午前6時前です。信長が熱田神宮に着いたのは午前8時前でした。

清須城から熱田神宮までは美濃路を通ると15キロ弱。馬なら30分もかからないでしょう。それを思うとかなりのんびりしたペースで、途中、榎白山神社や日置神社で戦勝祈願もしています。近隣の親衛隊集まって部隊が整うよう、ゆっくり熱田へ向かったのでしょう。

ということで、出陣する信長の気分を味わうべく、清州城をスタートして、信長が幼いころから利用した美濃路を名古屋へ向かってみましょう。途中にある榎白山神社は、信長が出陣後最初に戦勝祈願したと伝わり、合戦で勝利してから太刀が奉納されました。

名古屋城の前からは本町通りを南下し、国道19号に交わる手前にあるのが古社の日置神社ですが、こちらでも戦勝祈願し、合戦後には千本の松が植えられたので、その後は千本松日置神社と呼ばれるようになりました。

そして熱田神宮に信長軍は集結します。もちろん戦勝祈願が行われたでしょう。そして合戦後には広大な塀が築かれました。これを信長塀といいますが、この塀は当時のまま残っているのはもちろん、なんと今も塀の役目を果たしています。

初詣に行っても気が付かない人が多いようですが、実は信長時代の遺物が目の前で見られるのです。これって凄いことだと思いませんか。そしていよいよ次回は桶狭間です。

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