24年12月7日土曜日、勝幡城ツアー終了しました

ツアーのご報告

私はもう何度も多くの皆さんをお連れして勝幡城へ来ていますが、現在の鳴海中日文化センター講座に参加されている方たちは、まだ一度も勝幡へはご一緒していないということで、今回、こちらへ。寒くもなく、歩くには最適な気候・天候で、勝幡城の立地を現地で実感いただけました。

この駅前にある復元模型はやっぱり信長の生まれた頃とはだいぶん違うんじゃないかな、1660年ごろに描かれた勝幡村古城絵図が元になってますけど、信長誕生から130年も経ってからの図ですので、信長・秀吉・家康の時代に何らかの改変があってこんな戦闘的な姿になっているのではと思います、などとご説明。

二つの城址碑は勝幡城が稲沢市と愛西市にまたがっている悲劇かも、織田信定じゃなくて織田信貞ですよ、とかお話をしながら最後は佐織歴史民俗資料室で信長誕生について書かれた『尾州古城志写』を見て終了しました。

勝幡城を知るためには三宅川の流れを斯波氏が変えたということを理解しないといけないので、それに関しては現地を見て、歩くのが一番です。次回は1月の11日に小幡城から守山城までを歩きます。ここは信長というより、信秀の時代、さらに小牧・長久手の戦いで重要な場所ですので、かなりディープな内容となります。ぜひご参加ください。お問い合わせはhttps://www.chunichi-culture.com/narumi/へ。

さて上の写真で、黄色い看板に10年ほど前のいなッピーというキャラが書かれてますけど、史実的におかしいということでシールで何かが隠されています。それは何でしょうか?

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