名古屋城問題14 広沢新市長はいつ「復元木造天守にエレベーターをつける」と言い出すでしょうか

名古屋城天守木造再建問題
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建て替えが進んでいたエスパシオナゴヤキャッスルの外観がほぼ完成。施工は木造天守復元も担当するという竹中工務店。しかしまさかこんな外観になろうとは、と苦笑


名古屋市長選の結果が出ました。河村市政を継承するという広沢一郎氏が、河村元市長の名古屋城天守木造復元構想を引き継いで「史実に忠実に造れば、後世でまた国宝になる」「文化財を破壊しない範囲でバリアフリーを最大限やるべき」として、当選したわけですが、前市長の方針を引き継ぐことでまた迷走が続くことになるのでしょうか。いや、もしかすると急展開があるかもしれません。

当選直後に河村元市長と喜ぶ広沢名古屋市長(左)


というのも、新市長が元市長と違うのは、そのまま引き継ぐといいながら「バリアフリーを最大限やるべき」としたからです。これは明らかに元市長とは方針が違う(はたして有権者は気づいたでしょうか)。江戸時代のままではなく、エレベーター設置を容認しているとも思える言葉です。実際のところ、エレベーターあるいはそれに準ずるものを付けてバリアフリーにしない限り、監督官庁である文化庁が再建許可を出すとも思えませんし、名古屋市の担当者はすでにそうしたプランで準備しています。名古屋市から名古屋市立大学高等教育院教授に招かれ、皆さんがテレビでよくご覧になる学者の千田嘉博氏が市長選投票日直前の11月21日にX(旧ツイッター)に投稿していらっしゃるので、紹介させていただきます。

「名古屋市は名古屋城天守を江戸時代のままに再建すると信じている方がいます。しかし実際の復元計画は、コンクリートを基礎に、鉄骨で支えた基盤上に木造の天守躯体を乗せます。免震装置、耐震金物、スプリンクラー、電気配線、天守内LANを完備。ここまでしないと誰も天守内部を見学できないからです。」「史実に忠実な復元=江戸時代のありし日のままではないのです。先述の膨大な改変は、人が復元建物の内部に入って見学するのに避けられない法規対応です。それらの改変には目をつぶり、史跡整備におけるバリアフリー化の措置だけを、史実に反する改変と考えるのは、適切ではありません。」

千田先生には選挙戦の前にぜひ言っていただきたかったところですが、名古屋市立大学にお勤めで、名古屋城の有識者会議「名古屋城石垣部会」に所属する城郭専門家のご意見もこのとおり。膨大な改変をしないと建てられないと明言されていますが、市民はほとんど知りません。ここを説明せずに「エレベーターなぞいらん」と言って混乱させていたのが元市長です。しかしそれを引き継ぐと言って当選した新市長は「バリアフリーを最大限やるべき」と言っています。千田氏の見解のことは当然わかっているはずですから、今後どこかで「エレベーターはつけますよ(バリアフリーを最大限やる)」ということになるのでしょう。

コンクリート天守は現在、最上階の展望窓が半分塞がれて、往時の外観を取り戻している


文化庁は千田氏のいうように、江戸時代のままではなく膨大な改変をした耐震・耐火・バリアフリーのものしか許可を出さないでしょう。でももしそういう天守を作るとしたら、前市長の政策を丸ごと引き継いで、エレベーターなし・江戸時代のままの天守となる、と信じて投票した多くの支持者を裏切ることになるのでは。話が違うと市民や多くの城好きは思うでしょう。新市長はどのような舵取りをするのでしょうか。

新規に積むのは簡単だが、昔のままに復元するのはなかなか難しいこと、とのこと


さて、そういう話とは別に、11月23日に、名古屋城本丸搦手馬出し部分で行われている「石垣の積み直し」の現場を体験するイベント「石垣修復工事市民説明会」に行ってきましたのでそのご報告です。この工事は経年劣化で下部がはらみ出してきた石垣を、昔の状態へもどそうと積み直す工事で、22年も前の2002年から始まっています。4393個の石でできている石垣を解体して、石の一つ一つを調査し、使えるもの、修理するもの、取り替えるものを決めて、やっと現在、積み直しの作業が始まっています。あまりに長い時間がかかっていることの理由については今回触れませんが、いちおう現在は積み直し工事の進捗状況が4割程度とのこと。総予算は16億円かかるそうで、名古屋城木造再建は500億円ともいわれていますから、これもけっこうな金額ですね。

女性も含めてこれくらいの人数で、石は簡単に曳くことができた


今回、間近で現場を見て説明を聞くことで、名古屋城の石垣に関してはその構造や歴史に関してずいぶん知識が得られました。もともと工事現場見学というのはおもしろいものですが、それに歴史話が絡むわけですからもっとおもしろい。更に今回は石曳の体験メニューまで用意されていました(行くまで全く知りませんでした)。慶長15年(1610)に築城が始まった名古屋城へは、中部地区のあちこちから巨石が運ばれましたが、当時それをどうやって人力で移動させたかを体験させてくれたわけです。1トン強もある石垣の石を修羅(しゅら)と呼ばれる木製のソリに載せ、道に敷かれた丸太(今回は竹で代用)の上を曳くと、女性を含めた10人ほどでも簡単に移動させることができました。人力は馬鹿になりません。江戸初期の築城工事を体感、というなかなか貴重な経験ができました。

復元された修羅。乗っている石はこのあと石垣に用いられる本物


今回は一日限り、抽選で選ばれた30人ほどが参加しただけのイベントでしたが、とても楽しい時間だっただけに、これは常設イベントにできないものかと思ったりしました。石積みの現場を遠巻きに見学して、石曳の体験をする、有料にしてもそれなりに観光客は喜んで、名古屋城を学ぶことができると思います。そんなに難しい話ではないと思いますので、私が市長ならすぐ事業化しますけどね。天守再建もいいですが、こういう地道な体験イベントなどを増やして、名古屋城の観光を盛り上げていただけないものかと思いました。

なお、このイベント、私は取材ではなく抽選に当たって、個人として参加しました。しかし当日、知り合いも一人、抽選に当たっていたくらいですから、そんなにたくさんの応募があったわけではないでしょう。つまり市民の多くはこうしたイベントが行われていること自体知らなかったということです。メディアの記者もいませんでした。おもしろいのに広報体制が弱いのは実にもったいない。新市長にはそうしたことも見直していただき、様々な情報開示などもふくめ、市のやっていることを市民がよく知ることのできる体制を作っていたただきたいものです。

北側の名城公園からは石垣復旧工事現場がよく見えるが、あまり知られていない

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