2018年2月5日

1月28日に名古屋市中区の鯱城ホールで「名古屋城天守閣木造復元」シンポジウムが開かれました。参加してみましたが、入り口で反対派がビラを配り、会場でも反対派の声が大きく聞こえました。いったいどうなっているのでしょうか。今年5月からは現天守を入場禁止にすることも決まり、多くの人は名古屋城の木造復元が順調に進んでいるように思っているはずです。ところがいろいろ話を聞いていくと、歴史好きとしてはどうもちょっとまずいなあと思わざるをえない展開になっています。信長の時代とはちょっとずれますが、それについて書いておきたいと思います。


第二次大戦末期に空襲で燃えてしまった国宝名古屋城。戦後、市民の寄付により昭和34年にコンクリート製で再建されて今に至っています。これに対し「幸い戦前の史料が多く残っているので、耐震性能に問題がある現コンクリート天守を壊し、寸分たがわぬ木造で復元して、話題性で客を呼び、あわよくばいずれ戦前のように国宝にまでしてしまおう」というのが河村市長の構想だと思います。市長は観光ルートとして「信長攻路」も整備し、この連載にも何度も登場していますので、歴史好きとしては今回も期待したいところでした。ところが、名古屋城はどうも歴史好きとしては看過できない状況になりつつあるのです。

何が問題かというと、まず復元天守ですが、現代の法律違反という問題があります。伝統的木造工法で天守を建てると、あれだけの大きさの建物だと普通は、耐震・耐火性能で違法建築となってしまうのです。そこで現在、竹中工務店が示している案は、耐震のためのいわば木造強化ハイブリッド工法らしく、また防火対策等もあらかじめ用意されているようです。しかしそれでは本当の復元とは言えないのでは、と思います。また、報道されているように、障害者団体からはエレベータの設置も求められています。江戸時代の天守にエレベータがあっていいわけがありませんが、新しい建築物にはバリアフリーが法的に義務付けられています。

これらをなんとか建築基準法除外特例とハイテク(市長はシンポジウムの日に、エレベータの代わりにドローンとか使えんか、と言ってましたが)でクリアしたとしても、問題はまだまだあります。一つは石垣の問題で、これは貴重な国の特別史跡ですが、今の天守が作られた時に一部壊されたり、積み直されたりしており、また空襲で焼けた傷みもあり、これをしっかり調査してからでないと上に天守を建てるわけにはいきません。十分に時間をかけた調査が必要ですが、どうも建築スケジュールを見るとそれは無理なようです。そんな状態で文化庁が再建を許可するのでしょうか。

また今回の天守は家康の時代に建った慶長期のものでなく、大規模修繕された宝暦期(1751年から1764年)のものを復元しようとしています。であれば石垣も先に宝暦の状態に復元する必要があるでしょう。現在有識者による石垣部会が作られ、石垣の調査をしていますが、この部会はそもそも天守再建のための組織ではなく、貴重な石垣を調査するための集まりです。1月30日に4ヶ月ぶりに再開された石垣部会では、名古屋市の天守再建ありきの提案に、石垣部会の先生方からは異論が出て紛糾し、まるで話は進んでいないようです(調査期限は今年2月)。
もう一つの問題は城全体の復元整備の年代をいつに統一するかです。もうじき完成するこけら葺きの本丸御殿は寛永期(1624年から1644年)の復元で、ここに銅版葺きの宝暦期の天守が建つのは、名古屋城という史跡を整備する上でどうにもおかしな話、ということになります。今後、多門櫓や門を復元再建するときにも、年代を統一してトータルに復元整備するのが当然なわけですが、このあたりもなんだか、ウヤムヤ。史実に忠実にと言いつつ、このままでは年代的にチグハグな建造物が建ち並んでしまうわけで、ここはじっくり検討しないといけないでしょう。

もちろん、全国にある模擬天守のように、それらしいものを建てて人が集まるならそれでいいという考えもあり、観光、にぎわいの創出という点で否定はしませんが、それなら完全復元とか、国宝を目指すとかは言わないほうがいいでしょう。歴史好きとしてはこういうあたりがどうにも引っかかります。他にも試算上1時間1500人しか登れない木造天守で、収支計画通りの大量の入場者がさばけるのか、コンクリート天守こそがすでに歴史的建造物といえるのではないか、なども指摘されています。
もともと名古屋城は殿様が住むための城ではなく、戦闘用かつ敵威嚇用の城ですから、足弱(老人子供、女性など非戦闘員の当時の呼び方)が上がるものではありません。木造復元というならそういうものを作らないといけないわけで、そもそもの発想に無理があったように思います。であればいっそバリアフリーの耐震耐火ハイブリッド木造構造で建てて、昔のように作られている部分はそのように解説し、同時に様々な展示物も見せるという「巨大木造レプリカ博物館」にし、観光客を楽しませ、歴史ファンを増やす、そういう施設にした方がいいのではと思います。今のコンクリート天守でも、外国人を含め、多くの人がスゴイというのですから、当時のものに近い木造ならもっと喜んでもらえるでしょう。ただし復元ではなくレプリカですので、そこは丁重に説明する必要がありますが。

とまあこの問題、多くの歴史好きにもぜひ関心を持っていただければと思い書いておきます。もちろん当事者の名古屋市民がもっと関心をもつこと、それが一番重要ですが、「広報名古屋」などを読む限り、こうした問題点は何も書いてありませんから、困ったことです。
