名古屋城問題13 河村市長がいなくなり、これで名古屋に木造の城が建つことになるのでしょう

名古屋城天守木造再建問題

2024年11月2日

河村たかし元名古屋市長(以下、元市長)は、長年にわたる名古屋城木造復元の混乱を収めることなく辞任、そして国政に行ってしまわれました。名古屋城問題に関してはこの連載でずいぶん書いてきましたが、今回は結局何が問題だったのかを、最後にわかりやすくまとめて、今後について予測しておきたいと思います。

まず元市長が2009年、最初に市長選に出馬した時は、役人出身でも自民党員でもなく、また「気さくな34歳」として政治活動を始めた頃から知っていたことで、新たな市政を期待して私も一票を投じました。その頃は名古屋城に関する発言はなかったと思います。元市長は歴史好きというより「一発逆転をした信長が好き」だったようで、名古屋の観光振興に信長と桶狭間の戦いを活用しようと、それまで地味だった緑区の桶狭間古戦場の整備に力を貸し、桶狭間の戦いに向かう信長が通ったと思われる道を「信長攻路」として定め、その近辺の歴史スポットを整備して、ずいぶん「信長観光の振興」をしてくれました。

話題を振りまく政治手法でしたので、2015年には信長の桶狭間出陣を再現するとして自身が武将に扮し、早朝に清須市の清洲城を出陣、那古野城、熱田社とまわり、そして昼過ぎの桶狭間古戦場まつりで再現劇を行うという、桶狭間の戦いを再現するというイベントも開催しました。名古屋おもてなし武将隊の信長が主役のはずでしたが、事実上は元市長が主役ともいうべきイベントでした。

尾張に多くの痕跡が残る若き信長をもっと観光振興に利用すべき、と思っていた私とその頃は見事にリンクしましたので、この連載でもよく取材しました。清州城は名古屋市ではないのに、名古屋市長がそこを使ってイベントを行い、また信長攻路ではあま市など近隣の市町村も巻き込みましたから、行政の枠を超えた大きな広がりになるかもと、当時は期待したものです。そういう流れの中で突然、名古屋城木造復元も宣言されたのでした。


復元木造天守はケーソンの上に建てられる(毛利和雄著『名古屋城・天守木造復元の落とし穴』より引用)


木造復元は当初、私も大賛成でした。近世名古屋城天守は信長とは何ら関係ありませんが、それでも資料があって完全復元ができると言われれば、歴史好きとしては反対する理由はありません。当時、本丸御殿の復元が完成間近でしたから、天守も復元されて、櫓や石垣など城域全体が整備されれば、それは名古屋市にとって、観光的にもプライドの面でもマイナスではないな、と思いました。お金もかかるでしょうけど、名古屋市にはそれなりの予算があるはずなので、なんとかなるのではとも思いました。

ところがその復元案を詳しく知るにつけ、なんだかおかしい、という思いが否めなくなっていきました。最初に知った復元プランには立派なエレベータが用意されており、それはどう見ても「江戸時代のまま」とは言えないものでした。むろん、これは元市長も大反対し、このプランはなくなりました。そんなあたりから復元事業の市民説明会などへ出席するようになり、復元反対派の方とも知り合って、市が説明すること以外の知識もいろいろと得るようになりました。

まずこの天守は、
①建てるのは現在のコンクリート天守が乗っているケーソンというコンクリート土台の上であること。江戸時代のような石垣の上に天守を乗せる構造ではないので、これでは完全復元とはいえないでしょう。
また
②当たり前ですが江戸時代のままの城は地震にも火災にも弱いので、中に観光客を入れるためには耐震・耐火構造にしなければならないこと。それも完全復元とはいえないのでは。
つまり①は貴重な本物の文化財である石垣を保護するために避けられません。また②は客を入れなければいいのですが、建築費は税金ではなく入場料収入で賄う計画ということなので、客入れは必須条件となります。また多くの客を入れる公共施設である以上、現代の常識ではユニバーサル仕様にせざるを得ない。エレベーターやスロープを用意しなければならないのです。現在はこの部分が大問題になっていますが、そもそもは①と②の問題なのです。

建築費に別の財源(税金投入とか全額寄付とか)を用意して入場不可とすれば②は解決できなくもないですが、①はいかんともしがたい。つまり完全復元など夢物語だとわかるかと思います。前市長は①は問題にすることすらせず、②もなぜか最後までご理解いただけなかったようです。文化財を復元するのだからエレベーターなどあったら台無しだというのはわかりますが、そうすると観光には役立たない。どうしてこんな簡単な話が理解できないのか、私にはわかりませんでした。これからは国会でこういう話をするのでしょうか。この簡単な矛盾が全国に知れ渡るのであれば、それはぜひお願いしたいと思います。

2018年1月の市民説明会で名古屋市の担当者が現行(法の)基準の耐震性以上にしたいと答えている


そんな元市長の命令で木造復元をやれといわれた名古屋市の役人たちは、さすがにこんな矛盾は理解できるゆえ、現実的な対応を市長の顔色を見ながら進めてきました。つまり、観光客を入れても大丈夫なように、耐震・耐火構造で、昇降機(あえてエレベーターと呼ばない)・避難階段を備え、できるだけオリジナルデザインに近い木造の天守をケーソンの上に乗せて建てる計画を進めてきたのです。実はこの計画はすでにほぼ完成しているので、新しい市長が許可を出せば、すぐにでも実行できます。名古屋城は国の史跡ですから、建て替えには文化庁からの許可が必要となりますが、この計画であればおそらく文化庁も許可を出すでしょう。

さて、私のような歴史好きにはそのような観光天守などいらないなあと思えるのですが、「ほぼ昔のような建物」が建てられることに意義を認める学者や関係者はたくさんいらっしゃいます。エレベーターがあるのは当然で、それでもコンクリートではなく木造であることに意義があるとされます。また建築費用として500億円ほどの借金をして、それを50年かけて入場料で返済するという計画が建てられており、名古屋市民の一人としては、それはどうにも無理があるから、結局、市民の税金を使うことになるのではと思うのですが、学者の方々らはそういうことには無頓着なようです。

このように歴史的建造物をそれらしく新築することに価値を見出す人もいますが、築60年以上の現在のコンクリート天守はすでに歴史的建造物なのだから大切に残すべき、という人もいます。あまり知られていませんが、耐震工事は大金をかけずに可能なようですから、そうすればまだしばらくは大丈夫でしょう。戦後に市民の募金を集めて二度と燃えないようにと作られた現在のコンクリート天守は、文化庁も文化財的価値を認めています。こういったこれまでの事情を市民が知ったうえで、木造再建の是非をもう一度議論できないものかと思いますが、大金を拠出して建築用の木材はすでに購入しており、もはや後戻りはできないのでしょうね。

2018年1月の市民説明会の入口では反対派がこれを掲げていた(緑と赤の丸いシールは当日の参加者が貼ったもの)


さて、前市長が辞めたことで「エレベーターをなしにして、それでも観光客は入れろ」という無理難題をいう人はいなくなりました。すでに市議会は建て替え事業を了承しており、行政も計画をかなり進めている状況から、今さら新市長決済で中止というのは、なかなか難しいことでしょう。次の市長になられる方はこれらの問題点については理解できるだろうと思います。なので、新市長が建て替えをいよいよ推進する可能性は高いのではないかと考えます。それはコンクリートケーソンの上に乗った耐震・耐火構造で、昇降機や避難階段を備え、オリジナルデザインに近い木造の新たな建築物を作るということです。そういうものが世間でどういう評価を得るのか、私には想像できません。エレベーターのある木造復元天守などありえないと非難されるのか、なかなか立派で素晴らしいと言われるのか。大金をかけて作られるのですから、ぜひ高評価を得て、名古屋の価値を高めていただければと願うばかりです。

昨年の夜桜に映えるコンクリート天守。木造になってもこの外観は変りません


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