2016年3月12日

昨年11月29日に清州城前で報道陣の質問に答える武将姿の河村市長
3月8日付の中日新聞によれば、名古屋市は今年4月に観光文化交流局を新設し、武将観光情報発信に1億円を予算計上したとのこと。そして信長が合戦に向かった道中の名所をめぐる千人規模のウォーキングイベントをこの秋には開催するそうということです。
この連載でも紹介した河村たかし市長肝いりの桶狭間出陣イベントを、いよいよ市民にも体感してもらおうということのよう。私が「信長公記で追う桶狭間への道」という信長観光本を出してはや4年ですが、緑区の桶狭間古戦場を「北の名古屋城、南の有松・桶狭間といわれるような新たな歴史観光拠点」にしたいといよいよ行政も力を入れるようです。
桶狭間古戦場はもちろんですが、名古屋市内には信長の生きた痕跡が本当に多く残っています。私が講師をしている高蔵寺中日文化センターの講座では、3月3日に現地見学ツアーに出て、那古野城、志賀城、古渡城、西御器所城、末盛城、上野城、守山城をめぐってきました。

真宗大谷派東別院の敷地内にある信長が元服した古渡城址碑
これらの城は現在では碑が建っているだけの所も多いですが、信長が幼い頃、偉大な父の信秀に関連する城の痕跡もまだまだ市内には残っています。かなりマニアックですが、実際に言ってみることで信長の土地勘もわかってきて、参加した皆さんには大満足いただけました。
平手政秀の邸宅跡は志賀城とも呼ばれています
特に城山八幡宮として千種区の広小路沿いに残っている信秀最後の拠点である末盛(末森)城は、城の縄張りや空堀などが戦国時代のままと言っていいほど奇跡的に、見事に痕跡をとどめています。空堀に下りられるのも素晴らしいところ。地下鉄を下りてすぐ寄れる、こういう場所の信長遺跡としての整備や広報活動も、名古屋市の観光文化交流局にはがんばってもらいたいものです。


往時のままといってもいい末森城の空堀
ということですが、それに先駆けて?中日文化センター6拠点の合同企画(四日市・岡崎・栄・豊田・岐阜・高蔵寺)として、4月20日に桶狭間古戦場界隈をめぐるマイクロバス移動の現地セミナーを行うことになりました。ガイドは私と若手歴史研究者の萩原淳也先生です。
参加費は昼食代を含めて7200円(税抜き)となっています

10時に名鉄鳴海駅に集合して、桶狭間合戦時には敵方だった鳴海城から信長の三つの砦、桶狭間古戦場周りの様々な合戦史跡を、途中昼食を挟んで5時間ほどでめぐります。名古屋市内だけでなく、最後には豊明市の古戦場伝説地にも行きます。桶狭間合戦が半日で分るツアーです。参加希望の方はお早めに四日市中日文化センター(0120-556-411)へお問い合わせください。