名古屋城問題4 はっきりしていることはただ一つ。史実に忠実な木造天守を作ったら観光客は入れません

名古屋城天守木造再建問題

2020年1月30日

400

名古屋城木造復元問題ですが、先日、2020年1月25日に行ってきたのが「名古屋城木造天守復元事業は一体どうなるの?~名古屋城木造復元事業とバリアフリーの行方~」と題されたシンポジウムです。障害者団体「名古屋城木造天守にエレベーター設置を実現する実行委員会」の主催で、名古屋市北区役所講堂でありました。障害者団体によるエレベーター設置の話なので、障害者の方がたくさんお集まりかと思いましたが、意外に少ない。市民に関心がないのはわかっていますが、障害者の方々も同様なのでしょうか。

最初の講演は名古屋大学名誉教授の谷口元氏(建築設計学)の「名古屋城の過去・現在・未来の価値を考えるーユニバーサルデザインと科学技術進歩の観点も交えてー」というものでしたが、観光資源にするにはユニバーサルデザインにする必要があり、エレベータ以外に考えられないので、外部にエレベーター棟を設けてはどうかという提案でした。しかし、これまでの経過や現在の問題点はあまりご存知ないようで、いまさらこれはありえないと思わざるを得ないお話でした。この案は名古屋市が明確に否定していますし、まずは外観の美しさを求める市民の賛同も得られないでしょう。

名古屋市からは名古屋城総合事務所バリアフリー担当主幹の森本章夫氏がパネリストとして参加しており、史実に忠実な復元とバリアフリーの両立のため、昇降を可能にする新技術開発の国際コンペを行うというこれまでどおりの市の方針を説明。この方、ごみ焼却施設の担当から昨年4月に現在の部署へ移動され、その後は積極的にエレベータを求める障害者団体と対話をされているようで、その熱意は主催者共同代表の齋藤縣三氏も認めるところのようです。とはいえ、無理難題に近い市長の指示には従わざるを得ない公務員の悲しさで、立場が苦しいのはよくわかりました。

そんな話を3時間ほど聞いていましたが、こちらでもなんだか皆さんがよくわかっていないのでは、という感は否めませんでした。大阪から来たという東弁護士は、エレベータをつけないのは法的におかしいことを指摘されましたが、それももうわかっているお話。木造天守ができたらエレベータをつける、それが世界的に当たり前の行政対応だという原則論が出るばかりで、木造天守は是か非かという話も出ず、とても残念な気持ちで会場を後にしました。

市が言う垂直昇降装置について(会場の聴覚障害者用、同時表示ディスプレイより)


木造天守ではっきりしていることはただ一つです。まったく史実に忠実な木造天守を作れば、そこに観光客は入れられません。史実に忠実な天守は当然ながら耐震耐火構造ではありませんから、客を入れて火がついたら大惨事になるからです。健常者も入れられないからには、もちろん身障者も入れません。したがってエレベータをつけるかどうかという議論すら必要はないでしょう。

しかしそこに人を入れて観光の目玉にするというので、無理難題がでてくるわけです。歴史好きとしては、河村名古屋市長が求めている史実に忠実な木造天守を作ることは、けして反対ではありません。ただし、それに客をたくさん入れて、建築費や維持費を税金を使わずに観光収入でまかなおうとすることが間違っているのです。これだけが木造天守問題ではっきりしていることです。

もし史実に忠実に作るのであれば観光客を入れない1/1の精密模型にするしかないでしょう。ただし本質的価値を持つ貴重な石垣の上に、江戸時代のように乗せて建てるわけにはいきませんから、現在のコンクリート天守が乗っている土台(ケーソン)の上に建てることになります。これですでに史実に忠実ではなくなりますが、そこは一歩譲ったとして、何しろ木造の素晴らしい建物にはなるでしょうから、入るのではなく、遠目に見て楽しめばいいのでは。様々な貴重な歴史的建造物建物は、どれもが中に入れるわけではないですから。幸い本丸御殿は一階建てのため入ることができますから、観光客はそちらで楽しんでもらうということでいいのではないでしょうか。

戦前は国宝だった越前丸岡城の中。地震で崩れてから古材を使って再建されたが、当時のままの急階段はロープを伝って登るしかない。木造再建とはこういうこと

越前丸岡城は自己責任を明記


人を入れない1/1の精密模型なら400億円未満でできるという試算もあるようですから、残りのお金(100億円以上)で名古屋城全域の整備(石垣を整え、江戸時代のように塀や櫓を整備する等)をして、歴史公園として世界に誇れるものとします。また先日の中日新聞報道でもあった「新たな歴史博物館」もきちんと作って、マニアな歴史好きをも唸らせる博物館とすればいいでしょう。つまり木造天守は名古屋城歴史公園の中で、史実に忠実に再現されたシンボルとして、威厳をもたせてそびえる存在とするわけです。ごく少人数を抽選等で中に入れるのもいいでしょう。プレミアム感がより高まります。またこれなら復元建築物としていずれ本当に国宝、あるいは世界遺産になる、かもしれません。

そしてこういうやり方でも、借金を返せる算段をします。現在のコンクリート天守は入場禁止となっていますが、幸い観光客は大きく落ちてはいないようです。年間を通した様々なイベントや飲食施設がそれを支えているようですので、その部分はさらに強化する必要があると思います。つまり木造天守に入れることを観光のウリにするのではなく、一般市民からインバウンド、そして歴史好きまでが繰り返し楽しめる日本一の城郭公園、歴史公園という整備をして、その地位・評価を確立させ人を集めること、それこそが「尾張名古屋は城で持つ」ことになるのではないでしょうか。

2019年12月から20年1月へと、年越しで行われた名古屋城夜会というイベント


先回の記事の繰り返しになりますが、心配なのは名古屋市の森本バリアフリー担当主幹のような方たちががんばって、隠しエレベーターのようなものが付き、耐震耐火構造で、スプリンクラーがいっぱいあって、避難階段が余分に作られ、展望用の大きな窓がある、などといったとても史実に忠実とはいえない中途半端な木造ハイブリッド天守が作られてしまうことです。観光客も市民もそれを見て、がっかりしSNSで拡散するでしょう。その結果どうなるかは言わずとも知れるはずです。

そんなものを作るくらいなら今のコンクリート天守を耐震補強すればいいでしょう。シンボルとしてなら今の天守でも十分だと思いますので、耐震補強したコンクリート天守を核にして、城全域を日本一の城郭公園へと整備すべきです。むろんそのためには、本質的な価値を持つ石垣の調査・保存をしっかりすることが最初のお仕事となりますが。

本来はこの石垣の上に塀があったはず。それを蘇らせてはどうか


いかがでしょうか。いつ完成させられるともわからない仕事にたくさんの人件費を裂き、9040万円ものお金で実寸大階段模型が入る「ステップなごや」を作ったり、木を買い集めたりせずに、本質論に立ち返ったらどうでしょう。今のままでは史実に忠実な木造天守は絶対にできません。河村市長も「多選は権力を腐敗させる」などといって、原則として市長は三期までがいいなどと自身の退任を匂わせつつある今、こんな不毛な話で森本主幹のような公務員が消耗させられるのは、本当に無駄使いに思えてしかたありません。

71歳の河村市長の任期は来年4月まで。名古屋城木造復元は精一杯がんばったが、文化庁も認めないし、石垣調査に時間がかかるので断念する、と言って退任するのなら、今ならまだ支持者は多いので、引退の花道を汚さないと思うのですが。歴史好きとしては、信長攻路・秀吉功路の整備などこれまでの市長の仕事には感謝していますから、晩節を汚すようなことの無きよう願うばかりです。

タイトルとURLをコピーしました