第29回 もう一つの敵の城、大高城とそれを取り巻く5つの砦 その1

中日Web「尾張時代の信長をめぐる」過去記事 

※この記事を書いた当時はまだ新説に至っておらず、現在の見解とは異なっている部分があることをご了承ください。

2013年8月12日

先回、敵の鳴海城を取り巻くように丹下、善照寺、中島の三つの砦を信長が築いたことをご紹介しましたが、今川義元の軍勢は鳴海城の他に大高城も奪っていました。

大高城址は名古屋市緑区のJR大高駅南西600mほどの位置にありますが、当時は北側がすぐ海となっており、ここから伊勢湾(あゆち潟)へ直接漕ぎ出すことが出来るという織田、今川双方にとって重要な場所でした。

信長はこの城を包囲するように5つの砦を築きました。それが鷲津、丸根、正光寺、向山、氷上の各砦です。このうち鷲津、丸根の二つは信長公記に記載があり場所も確認されていますが、残りの三つは実際に有ったのか確認されていません。しかし城を囲むという意味では、まずあったものと考えていいのではと思います(現在では向山砦の存在は否定されている)。

大高城はもともと、信長の父信秀の代から織田に与していた、知多半島は緒川(東浦町)の水野信元(家康の叔父でもあります)一族が領有していた城ですが、織田を裏切った鳴海城の山口教継が奪って、桶狭間合戦の頃は今川方の鵜殿長照が守将として入っていました。

大高城は東西106m南北32mで、現在も本丸跡、二之丸跡、内堀などがよく残っており、今でも城の面影を偲べる場所です。所在地は緑区大高町本町41。

この大高城の北東700m、JR大高駅の東側にある小高い山が鷲津砦跡です。砦の北側、海沿いに鳴海方面から大高城方面への道があり、砦にはこれを封鎖する意味がありました。砦の規模は東西25m、南北27m。場所は緑区大高町字鷲津山で、大高駅東側に出て南へ少し行くと砦跡へ登れる公園があります。

またJR大高駅から東側の道を線路沿いに600mほど南下すると、左手に見えてくる小山が丸根砦跡です。この線路沿いの道のあたりには当時も桶狭間方面からの道があり、丸根砦はこの道を封鎖する意味がありました。

信長はこの2つの砦で大高城への補給路を断ったのです。丸根砦は東西36m、南北28mの規模で外堀も持っていました。現在でも丸根砦跡は円形の砦跡が見事に残り、眺望も素晴らしい場所です。

次回は残りの3つの砦をご紹介します。

タイトルとURLをコピーしました