第143回 GoTo信長攻路。地元でもっと信長を楽しみましょう

中日Web「尾張時代の信長をめぐる」過去記事 

2020年9月1日

無料で手に入る信長攻路のMAP

めったに乗らない地下鉄でこれをみつけるあたり、やっぱりなにか持ってますね

そういえば少し前に地下鉄に乗ったら写真のような中吊り広告がありました。

そこで早速KKベストセラーズが発行する雑誌『歴史人』を見てみると、信長攻路✕歴史人という企画タイトルで「名古屋の歴史と文化を訪ねる旅」という4ページの記事が載っていました。すでに3回掲載されており、タイトルは初回のが①「桶狭間合戦への前哨戦」二回目が②「桶狭間攻略の真相」三回目は③「魔王・信長の実像」という刺激的なもので、尾張で活躍していた若き信長について詳細に書かれています。著名な小和田哲男先生の子息で、最近テレビなどでもよく見かける小和田泰経氏が監修・文とクレジットされた三回合計12ページとなる立派なカラー記事でした。長年若き信長を研究している目には間違いと思われる部分も若干見受けられましたが、全体としては久々に信長の話をしっかり書いてあって、ちょっと詳しく知りたいという人には刺さる記事と言えるでしょう。

歴史人の記事を抜き刷りしたもの。合計12ページで読み応えあり

とはいえ、少し気になった点は指摘しておきたいと思います。

まず①では尾張に当時、山田郡があったことが書かれていません。また信秀が死んだので坂井大膳が反攻を開始したとか、赤塚の戦いで山口教継を追い詰めたとか、村木砦が尾張侵攻の前線基地とかはちょっと?です。

②はタイトルが「桶狭間攻略の真相」とあり期待が。しかしまず鎌倉街道「下の道」が大高城のすぐ下を通る、というのは明らかな間違いで、信長がそこを通れなかったので上の道から丹下砦に入ったというのには更に?が。そして「これまで太子ケ根を迂回して本陣に向かったと考えられてきたが、『信長公記』には太子ケ根を迂回したとは記されていない」という記述は迂回奇襲説を否定するために書かれているようですが、どうも意味がよくわかりません。

また『信長公記』には佐々隊の玉砕を見て信長が中島砦に移ったと書かれていますが、『松平記』を引用して信長本体と佐々隊が二手に分かれて同時に攻めかかったのではとしています。でもそうすると『信長公記』の佐々隊の壊滅を見て義元が喜んだという話がどこかへいってしまうのですが。さらに本陣候補は漆山・高根山・桶狭間山のどこだったのだろうかとされていますが真相というならそこは言ってほしいですね。

③では信長父信秀の末盛城と熱田湊を押さえる目的があったとしていますが、これは古渡城の勘違いでしょう。また斯波義銀を守護として擁立したというのは微妙な記述。尾張は水害の土地で、農業によって経済力を強めるには限度があったため信長は商業に着目したというのも微妙な見解です。

三つ折り前の信長攻路MAP。折りたたむとコンパクトに

さて、話を戻して3年前の8月にこの「達人に訊け」でもご紹介した「信長攻路」は、名古屋市が桶狭間の戦いを観光の目玉にしようという試みですが、現在も続いており、どうやらこの記事はその「信長攻路」のPR記事のようで、その後わかったのは、この記事が抜き刷りされて、栄・名駅・金山の名古屋市観光案内所などで配布されていることでした。ちなみに桶狭間古戦場観光案内所でも記事の抜き刷りが手に入るそうです。一連の業務を行っているのは公益財団法人名古屋観光コンベンションビューローということですので、観光部国内観光グループの山本政英さんにお話を聞いてみました。

抜き刷りで人気があるのはやはり②「桶狭間攻略の真相」だそうです

それによるとこの話はコロナ以前の昨年にきまったもので、二年前からコンベンションビューローが担当している「信長攻路」と「愛知の観光」の全国PRのため、歴史雑誌とタイアップしようという企画だそうです。そこで今年度、「歴史人」と連携し、「名古屋の歴史と文化を訪ねる旅」というテーマで戦国時代から江戸時代の名古屋の歴史や文化を全10回で紹介していくことになったとのこと。連載は7月号(6月5日発売)からスタートし、10ヶ月間続きますが、カラー4ページの抜き刷りは「信長攻路」に関する最初の3回分だけとのことでした。この抜き刷りは数に限りがあるため、手に入れたい方はお早めにということでしたので、配布場所などの詳細はコンベンションビューローへお問い合わせください。

メインの地図と桶狭間合戦に関連する場所がこちら面

さてこの「信長攻路」に関してです。桶狭間へ出陣する信長は1560年5月19日早朝に清州城を出陣して、熱田神宮に向かいます。その時に通った道はどれだったのかということで、3本のルートが想定されました。まず信長誕生以前からの主要街道である鎌倉街道では?としてこれを揚羽道と名付けました。また信長の時代頃から名古屋・清洲間のメイン街道となったと思われる美濃街道では?としてこれを木瓜道と名付けました。さらに美濃街道のバイパス的な稲生街道では?としてこれを永楽道と名付けました。「信長攻路」はこの三本のルート沿いにある、信長ゆえんの場所を紹介する企画で、マップが作られました。信長名言スタンプ5ヶ所を集めるスペースも用意され、折りたたんで現地巡りに使う仕様となっています。今年3月からは御朱印がもらえる寺や神社の情報も追加され、こちらは大量に刷られてあちこちで配布されています。

ルートにある見どころも揚羽道の萱津神社、木瓜道の榎白山神社、永楽道の名塚白山神社など、信長好きが見て歩くにはかなりディープで面白い場所が掲載されています。立ち寄りスポットは53ヶ所もあり、中には桶狭間の信長とは関係ない場所も含まれていたりしますが、まあそこは大人の事情もあるのでしょう。日置神社などの信長名言スタンプやら、桶狭間古戦場公園のARコンテンツやら、高根山など5ヶ所のVRガイドやらという仕掛けもあって楽しめます。なお、熱田神宮から先は、木瓜道一本になり、鳴海界隈の砦から桶狭間古戦場公園へとつながっていきます。三本の道の途中では街道茶屋として16店舗の飲食店紹介も紹介され、信長そばや信長ラーメンといったオリジナルグルメが提供されています。

反対面は桶狭間合戦には直接関係ない「立ち寄りスポット」やスタンプスペースが。街道茶屋もこちらに

この信長攻路はなかなかよくできていて、見て回るのはすごく面白いのですが一つだけ難点が。それは移動方法です。歩くにはあまりに距離があります。スポット間の間隔が長すぎます。といって公共交通機関を使うと順にはすすめません。実はクルマが一番いいのですが、残念ながら各スポットに駐車場案内がありません(実際に駐車場のない所も多い)。また遠方から来た人はレンタカーがいいというアドバイスもありません。信長は馬で走ったはずなのでせめてレンタサイクルでもあるといいのですが。今、名駅や栄ではレンタサイクル(シェアサイクル)がたくさん登場していますので、それがこの信長攻路にも利用できるといいですね。

信長攻路はもともと河村名古屋市長が言い出して始まった信長観光キャンペーンですが、コロナの影響もあって今年は、清洲城から桶狭間古戦場公園まで移動しながらの市長肝いり出陣再現イベントも取りやめになりました。何より桶狭間古戦場まつりも中止でしたから、せっかく「麒麟がくる」が放送された年なのに観光面では寂しいことになっています。そこでまず広域からの集客でなく地元の人にもっと利用してもらいたいというのがコンベンションビューローのご希望でした。東海地区の住民でも知らない場所は多いと思われますので、コロナ対策をしっかりして密を避け、ぜひマップを持ってまわり、信長ゆかりの地が地元にこんなに有るのか、と驚いていただきたいと思います。GoToトラベルキャンペーンにのっかって全国からたくさん人をがきてしまうのはちょっとまずいですが、地元の人が地元のスポットをめぐるのであればOKでしょう。

皆さん、この機会にぜひGoTo信長攻路!

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