2023年4月25日

私の『若き信長の知られざる半生』は昨年末(12月20日)に発売しまして、Amazonのレビューでも高い評価をいただけております。また、中日新聞の「みんなの本」でも過分なお褒めをいただき恐縮しております。信長の若き時代を年ごとに追い、何が、なぜあったのかを解説して、今も残る活躍の場所へ出かけてみよう、そして信長の心情を想像してみよう、という本として、歴史の流れを追うガイドブックとして、あまり難しくないように書いたつもりです。

とはいえ、まわりの方に聞いてみると、かなり難しい本だと言われました。ここまで詳しく知らなかった、知っていた話と違う、そもそも予備知識がかなりないと分かりづらい、など、軽く読めるような本じゃないと言われてしまいました。この本は、2017年に出た『愛知県史 通史編』をもとに、最新の研究成果を加えて一冊にしています。愛知県史は一般にはかなり難解で、かつ新しい見解も多く織り込まれており、なかなか読むに辛い本でもあるので、私の本ではそれをわかりやすくしたつもりですが、桶狭間の戦いの謎解きなど新説も入れて、単なるガイド本にしてはいないつもりですのでやっぱり難しいのでしょうか?

そこで、この本で書いたことをごくごく簡単に言いますと、若き信長は、尾張国内にもいる今川に親しい人を含め、徹底的に「今川」というものに対して戦いを挑み、そして勝利したということです。まあ、ここがそもそも常識と違うようで、若き信長は尾張を統一するために戦い、巨大な今川勢の侵攻に逆転大勝利を収めたという見方はまだ根強く常識となっているようです。若き信長がうつけと言われたのは不良少年だったからではなく、今川と戦うために天皇からの和平協定を破ったから、と言っても一般には何がなんだか、かもしれませんね、やはり。

ということで、私の本を読んでいただいた方もそうでない方も、5月28日の日曜日13時から栄中日文化センターで行いますワンデイ講座「若き信長の知られざる半生~大河ドラマや映画とは異なる、尾張時代の生き様~」にご参加頂けますと、かなり理解が深まるかと思います。難しいと言われる話を1時間半で簡単に理解できるようにお話ししたいと思います。また、別に5月13日の土曜日には14時から名古屋駅・名鉄百貨店6階のTSUTAYAブックストアでトークショーを行います。こちらは1時間で、もっともっと簡単にこれまでと違う若き信長像をお話しします。無料のイベントですから、ぜひお運びください。

さて、実は今年に入ってからもすでに2冊、若き信長に関連する重要な本が出ています。その1冊は1月に出た『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院)で、『愛知県史』を執筆された中京大学名誉教授村岡幹生先生の長年に渡る研究の集大成的なもの。500ページを超える学術書で1万1800円もしますから、一般にはなかなか手が出しにくい本ですが、「どうする家康」の「松平家」に関する最新研究・最新見解が書かれていて、やはり常識をくつがえすものです。この場合、常識というのは「徳川史観」という勝者である家康が作った徳川に都合のいい歴史のことで、近年の戦国期の研究は、この徳川史観との戦いと言ってもいいでしょう。徳川の歴史は信長やその父信秀に関係がある話も多く、『戦国期三河松平氏の研究』は若き信長を知るためには必ず読んでおかなければならない本といえます。

昔はこうした研究書を発行して売ることは大変なことでしたが、今はネットで作れ、販売もできるのが大きな進歩と言えそうです
またもう一冊は3月に出た、民間の若い研究者である氏戸佳香氏が書かれた『今川名越家 誕生と滅亡』というもの。400ページを超えるこの本はAmazonの自費出版システムを使って売り出されており、2970円でAmazon通販のみで手に入ります。信長父の信秀の時代に那古野城に義元の弟とされる「今川氏豊」がおり、それを信秀が攻めて尾張から追い出したという話は私の本でも書いていますが、尾張・那古野にいたこの今川氏とは一体どういう一族なのかに関して研究した本で、他に類を見ない一冊です。
この本で「那古野今川氏」でなく「今川名越家(いまがわなごやけ)」と呼ぶ一族は、ルーツを辿っていくと、今川義元の駿河今川家の親類であり、さらにたどっていけば「鎌倉殿の13人」でおなじみの北条義時の次男・朝時が、祖父で初代執権の北条時政が住んでいた鎌倉の名越というところで名越流北条氏の祖となった、というすごい話になります。つまり名越(読みはなこし・なこえ・なこやなど)北条氏が今川国氏の娘と結婚して今川名越氏となり、やがて遠江(静岡県西部)、そして尾張・那古野に入ってくるという信長誕生前の1200年代、1300年代、1400年代の名門一族の話が書かれています。

信貞・信秀・信長という織田弾正忠家三代が活躍した1500年代にも今川名越家は名門として尾張の半国を支配していたとされ、信貞と今川名越家の関係はよくわからないものの、信秀の代になるとこの今川名越家を尾張から追い出してしまいました。そして信長の代になってからは、駿河今川氏を含めすべての「今川の因縁」を断ち切ったということになります。今川義元との戦いが若き信長の戦いなのですが、今川に関連する人々すべてを敵にしたのでした。それは「名門」という権威に対する反逆とも言えそうです。信長は保守的だったというのが昨今の常識となりつつありますが、そうではないと思えてきます。こうなると三河松平氏は今川派なのか、それとも? という疑問が。特に、三河安城の松平信定が尾張・守山(名古屋市守山区)に領地を得たことは、今川名越家の影響下にあったエリアであることを考えると、謎が解けるのでは(このあたりは現在まだ研究中です)。
という具合に、この時代の研究は加速度をまして進んでいます。なかなか確かな史料は見つかりませんので、これが正しい、とは言えませんが、史料の読み方次第で様々な見方ができるようになってきているのです。ますます面白くなっていますので、興味を持たれたら、入り口としてまずは私の本を読んでいただければ、そしてまた私の講座にご参加いただければ幸いです。
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