2015年9月13日

去る9月6日の日曜日、名古屋市中村区の芝居小屋「三楽座」で名古屋市市民経済局観光推進室が主催する「桶狭間の戦いと観光魅力」市民シンポジウムが開催されました。武将観光ガイド「信長公記で追う桶狭間への道」著者の私としては、これは行かねばならぬということで取材に出かけましたので、またちょっと外れてしまいますが、今回はそのお話を。
当日は午後2時からスタート。河村市長の挨拶というか、ほとんど前説(笑)のあとに、「逆説の日本史シリーズ」で有名な作家の井沢元彦氏が、利家の前田家に雇われていた小瀬甫庵には桶狭間合戦に関して書けないことがあったとか、義元はとりあえず尾張を押さえるのが目的だった等の話を30分ほど。
それから今回の会場、桟敷まである見事な檜造りの小屋を所有する「藤本邦楽学園」の皆さんによる「鯱ばやし」「あゝ桶狭間」等の演奏があり、パネルディスカッションに移りました。
コーディネーターは名古屋学院大学教授の伊澤知旦氏。今年6月に桶狭間・有松で「これからの桶狭間のまちづくりを考えるアンケート調査」を行っており、それによれば9年前の調査より住民の桶狭間への認知度と訪問歴は明らかに高まっているとのこと。
パネラーは井沢元彦氏、桶狭間古戦場保存会会長の梶野泉氏、武将関係に詳しいDJのクリス・グレン氏、歴史学者の高木傭太郎氏、郷土史家で出版社の船橋武志氏、そして河村市長です。

桶狭間の合戦に関しては、京に上る義元の大軍を少数精鋭の信長軍が迂回奇襲で討ち果たしたという説を、明治時代の日本陸軍が確定させてしまったことで、最近までずっと誤解されてきています。
学説的にはほぼそれは否定されていますが、一般にはまだふつうに迂回奇襲が信じられています。ただ実際にどうであったかは確定しておらず、それをあれこれ思い巡らすのが歴史好きの醍醐味です。しかしそれは観光的にはちょっと難しい話。関ヶ原のように白黒はっきりした大合戦なら、あれこれ解説もしやすいのですが。(※2025年現在では関ヶ原の戦いも諸説入り乱れている。)
そこで歴史的正しさを検証するのはひとまずとして、とにかく観光という側面から考えた場合どうかというと、これまた難しい問題が出てきます。豊明市にも桶狭間古戦場公園があり、名古屋市緑区の桶狭間田楽坪古戦場公園と互いに牽制しているような状態なのです。このことは本連載でも何度も書いてきました。
歩いて移動できる両公園は、行政区割を考えなければ一帯の観光エリアとできるのですが(過去そうしたパンフレットが作られたこともあったようですが)残念ながら今は難しいようです。
また歴史好きなら当然わかりますが、鳴海城やその周辺の砦跡、大高城やその周辺の砦跡も桶狭間の戦いでは重要な場所ですから、それらも同時に観光場所とすべきでしょう。しかしこれも桶狭間地区の人にとっては別のエリアの話となってしまうようです。
そして何より桶狭間には、最近になって古戦場公園や地元説の本陣跡などが整備されましたが、資料館もなく、駐車場や大きなトイレ、そして河村市長が強調する「うみゃーくいもの」も無いのです。(※2025年現在では、観光案内所とトイレは整備されています)
しかしそういう場所に今、年間1万人の人が訪れており、地元としてはこれを5年のうちに10万人にしたいという野望に燃えています。じゃあどうしたらいいのか、というのが今回のシンポジウムのテーマでした。そこで皆さんの意見を要約すると…

梶野氏:地元は観光ということに慣れてなかった。そこで保存会が平成19年に作られ、祭をやり、銅像と公園を作った。やっと地元が桶狭間を理解するようになってきた。高根山の木を切って見晴らしを良くし善照寺砦も見えるようにもした。しかし現地には特に何もないので、精神論で行くしかない。つまり来た人に考えてもらう。検証に来てもらうということにするしかない。そのためにも日本人向けと外国人向けのwebサイトがまず必要で、スマホですぐ情報が見られるようにしないといけない。まわりは住宅ばかりなので何か昔の風景を見せる方法があればいいのだが。10万人に向けコツコツやっていくしかない。
高木氏:何度も人を現地に案内したが、一望できるところがない。また戦いのポイントには鳴海城、大高城もあり、周辺全体像を見せる必要がある。しかし現在は一帯が住宅地になりすぎているので課題はそこだろう。
船橋氏:有松、桶狭間間の進軍したと思われる川にそってのぼり旗を立てるなどするといい。またすぐ移動できる豊明と緑区の二カ所の古戦場間にものぼり旗を立てるといい。素晴らしい善照寺砦跡も、眺望を確保するため木を切るといい。
グレン氏:サムライは世界で通じるが、信長が勝ったストーリーを皆わかっていない。それを世界へ発信するため英語の地図やwebが必要だ。訪問する外国人には無料Wi-Fiも必要で、それでSNSに対応でき、宣伝される。現地の案内はAR技術がおもしろいが、クオリティはまだまだ。カッコ悪いとダメだからかえって紙芝居の方がいいのかも。スマホと連携した音声ガイドならすぐ出来そう。
井沢氏:例えば関ヶ原は気軽に行けて色々なものがある。桶狭間は観光インフラが足りない。名古屋市と豊明市の両方を見たいので、見渡せるところに資料館をつくるべき。世界戦史上まれに見る大逆転劇なのだから、webで60億人の世界マーケットへ出て行って、魅力をアピールするといい。また条例で市が空いた土地や家を買い取って、子や孫の代に昔の風景を復元できるようにしていくべき。
河村市長:信長の攻めた道の行きも帰りもわかっているのだから、清須で舞を舞ってから市内の信長の進軍ルートを歩くというイベントを毎年戦いの時期にやって、全国のテレビに取材させたい。馬に乗って夜中に清須を出て、というのを実演してみたい。みんな本物の魅力を見たいものだ。
伊澤氏(まとめ):先のアンケートの中には観光と暮らしをどうするのかという意見が多かった。観光客に騒がれたくないという人もいるが、価値は世界が評価している。どう共存させるかビジョンがいる。桶狭間はミステリーとロマンと逆転劇という、ストーリーとして面白いものがつまっているのが魅力だ。しかし現場は住宅地化されているということから出発し、地道に環境づくりしていかないといけない。現場に何もなければ、きちっとしたガイドを育てて街歩きをしてもらうという取り組みが必要。見て、考える観光を展開する必要がある。市民全体で豊明を含めて本物をいかに見せていくかという取り組みをし、鳴海を含めて大きく連携をしていくこと。そしていろいろな学説も発信していく。ビジュアルのセッティングも必要だ。それは紙芝居でもいいかも。建築物を建てるより安価なはず。
ということで、時間も一時間ほど経ち、100名ほど参加した市民の質問時間はないままお開きとなりました。

さて、私は中日文化センター等で講座を持ち、座学のあとで現地(桶狭間もすでに2回)見学をするということを、ここ1年ほど何度も行っています。知識を得てからガイド付きで現地に行くと、たとえ住宅しかなくてもとても楽しい、ということを参加者の皆さんに実感してもらっています。
ということで、このシンポジウムを聞いていて、私のようなことをもっと組織的にやっていくべきでは、という思いをより強くしました。そしてやはり歩きだけでは移動に時間がかかり過ぎるので、クルマを上手く使うべきでしょう。効率的にクルマを使えば、鳴海や大高もコースに入れられます。こうすれば、今の状態でもまったく問題なく、桶狭間観光が楽しめるはず、と思うのですが。
その意味では優先的に必要なのは駐車場の整備、トイレの整備、でしょう。それともうひとつは観光コースの作成。効率よく回れるコースを作って、日本語と英語でweb発信できれば、観光客はグーンと増えると思います。
観光バスは狭すぎて入れないので、タクシー会社と提携するのがいいでしょうね。ガイドの部分はスマホからの音声で代替すればOKでしょう。シェアEVコミュータの導入などという大掛かりな仕掛けができれば、なおけっこうなのですが。桶狭間という素晴らしい観光資産を有効に活かすべく、もっと議論が必要だと切に思いました。
ということで10月から私の講座が高蔵寺中日文化センターでまた始まりますので、お時間のゆるす方はぜひご参加ください。