2015年12月7日

去る11月29日の日曜日、またまた若き信長関連のイベントがあったので、その報告をしておきたいと思います。中日新聞やテレビでも報じられましたからご存じの方もあるかと思いますが、名古屋市が「桶狭間の戦い再現事業」ということで、名古屋市ではなく清須市にある清州城で、信長の暁の出陣を再現したのです。もちろん、河村名古屋市長肝いりのもの。

今は名古屋市を離れて独立運営されている名古屋おもてなし武将隊の織田信長が、早朝6時20分から清州城で再現寸劇を演じ、その後、史実通り6騎の騎馬武者とともに出陣するという念の入った催しで、早朝ながら200~300人もの見物人も集まりました。

河村市長も武将姿で「桶狭間は人生大逆転の道」とハイテンションで挨拶。今年9月に行われた「桶狭間の戦いと観光魅力市民シンポジウム」でやると言っていたことを今回実現したわけですが、しかし考えて見ればここは清須、他の自治体なのに名古屋市長がイベントをやるということは、ちょっと普通考えられないびっくり話です。
信長をキーにした歴史観光の話は、自治体を超えてやらないと面白くわけで、河村市長がそれの先鞭を切ったことは、とても素晴らしいと評価したいですね。まあ、あの市長じゃないとできないことかもしれませんが。

清須城を出陣した信長は、次に熱田神宮に向かうのですが、どこを通って行ったかはわかっていません。西区の美濃路なのか、萱津から中村区の鎌倉街道なのか、はたまた小田井から稲生を通ったのか、三つの説があるようです。
市長は鎌倉街道説に傾きつつあるようで、中村区内を整備したいようですが、実際の信長は熱田まで直線13キロ、徒歩でも二時間半ほどの距離を馬で二時間かけて移動しているわけで、この間にあちこち行っていることは確実です。その動きや経路は桶狭間合戦の謎のひとつですね。

信長公記では午前8時に熱田神宮で戦勝祈願をしたとされているため、この日も今度は熱田神宮に場所を移して寸劇が行われました。熱田神宮境内でこういうことをやるというのもまた画期的かもしれません。見物人は参拝者だけでなく、清須から電車やクルマで移動してついてきた人もたくさんいました。

そしていよいよ桶狭間へ出陣です。しかしこの日は桶狭間の手前の大高緑地公園へ向かいます。というのもそこでは全国から観光武将隊を集めて戦国エンタメ「東海合戦ワールド2015」が開かれているからです。最後の寸劇は10時からその会場の特設ステージです。

東海合戦ワールドは愛知県の主催ですから、武将観光としてまたまた自治体を超えた連携です。甲冑姿の人々が行き交う会場はまさに戦国の戦場のよう。そのステージでまた河村市長がひとしきり吠えまくって、信長の寸劇があり朝6時からの桶狭間合戦再現劇は大団円となりました。
そして現在の尾張三河守護である大村知事も陣羽織姿で加わって、河村市長と合戦ワールドの開催宣言。大武者行列が始まり、夕方まで合戦ワールドは続きました。


これまで清須城、熱田神宮、桶狭間古戦場とポイントごとに独立している信長関連の観光地を時間と線で結ぶ動きがなされた今回の名古屋市のイベントは、武将観光の今後という意味では素晴らしい試みだったと思います。自治体の枠を超えたこうした動きが増えてくれば、この地域はもっともっと武将観光で盛り上がると思うのですが。
例えば信長の生まれた勝幡城は名鉄勝幡駅が愛西市、肝心の勝幡城址は稲沢市と引き裂かれていることでやりにくいことが多いと、地元で聞きました。ここでも何かいい手立てを行政に打ち出してもらいたいものです。
