第8回 柴田勝家登場! いよいよ始まった清須攻め、萱津合戦

中日Web「尾張時代の信長をめぐる」過去記事 

2012年11月23日

愛知県内の古戦場で、あまリ知られていないのがあま市の萱津古戦場でしょう。尾張四観音のひとつ、甚目寺観音にも程近いここで合戦があったのは、1552年のこと。信長が弾正忠家家督を継いでから最初の謀反であった赤塚の戦い(先回紹介)、その4ヶ月後に今度は、清須城の家老坂井大全が信長を見くびって、海部郡大治町にあった信長方の松葉城、深田城を奪い取ったのです。(昨今ではこの時、坂井大全は今川方になっていたと考えられています)

これらの城の先には蟹江城もあり、清須から蟹江に続く旧街道(柳街道)は今も信長街道と呼ばれています。尾張国海東郡のこのあたりは、若き信長方の親族が領地としていたようです。松葉城は海部郡大治町西条城前田のあたりにあったようですが、現在は何も残っていません。また深田城は七宝町の深田にあったのではという説があります。

さて1552年8月16日早朝に那古野城を出陣した信長は、中村区の稲葉地で叔父の信光軍と合流し、清須を攻める信長本隊、松葉城と深田城をそれぞれ攻める分隊の3つに軍勢を分け、庄内川を渡って各方面へ進みました。

分隊による松葉城勢との戦いは大治町馬島周辺で行われ、深田城勢との戦いはすぐ近くの大治町三本木周辺で行われました。ここでの戦は信長方の勝利。二つの城を奪還しました。

北へ向かった信長本隊は旧甚目寺町の萱津ヶ原で南下してきた清須勢と、東西に陣を敷いて対峙し、午前八時頃ついに開戦。信長方の柴田勝家が坂井大全の弟である坂井甚介を打ち取るなど、双方が50名ほどの死者を出した激しい戦いで信長方が勝利をおさめ、清須勢は清須城へ逃げ帰りました。この後、信長の清須攻めが始まります。

萱津ヶ原の戦いを偲んだ萱津古戦場碑は、あま市上萱津八剱50にありますが、実際の合戦場所はここではなく、南東700メートルの辺りだったようです。しかしこの合戦、信長の合戦のわりにあまり知られていません。古戦場碑も消防団の建物横にひっそりと建っていて、見つけることも難しい状態なのが残念です。若き信長の足跡ですから、信長好きならぜひ訪れてもらいたいものです。

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