2018年8月25日


人生大逆転の信長に続いて、人生大出世の秀吉で武将観光を進めようという名古屋市。今度は中村区で武将観光ロード「人生大出世夢街道」(仮称)事業が始まりました。先回でその概要はご紹介しましたが、「信長攻路」に続き、秀吉の出世にちなんで「秀吉功路」として、まずは名古屋駅西口から豊国神社のある中村公園まで、絵本太閤記などの絵を使って秀吉の出世ストーリーを紹介するモニュメントが設置されることになりました。そこで先回と今回で、中村区の秀吉ゆかりの場所をご紹介しています。
先回の続きで中村公園に並んで東側にある日蓮宗の妙行寺から。ここは1294年に真言宗から日蓮宗に改宗したとされるだけに、こちらは秀吉の生まれたとされる常泉寺より遥かに古くからあった寺ということになります。この寺は加藤清正誕生地とされ、清正は1610年に名古屋城を普請した時、城の余材でこの寺を再建したとのこと。昭和35年に建てられた立派な清正の銅像があります。秀吉より人気がある清正ですから、観光客も多いようで、顔抜きパネルも用意されています。


中村公園敷地の西南角には名古屋市秀吉清正記念館があります。中村図書館と中村文化小劇場と同じ建物の二階にあり、二人の武将に関する様々な充実した展示があります。でもここ、なんだかちょっと地味なので、新しく観光用の建物を建てて、展示を移転させると観光的には大きな目玉となるのではないかと思われます。桶狭間古戦場にはこうしたものもないのですが、こちらにはすでにあるのですから、ハコモノさえ作ればいいのでは。現在の記念館のキャッチコピーが「この地に生まれた天下人豊臣秀吉、勇将加藤清正、二人に焦点をあてた日本で唯一の記念館が、ここにある」なのですから。
観光施設といえば、中村公園の中には実に昭和っぽい売店があります。これはこれでものすごく風情があって悪くないのですが、今の観光施設としてはちょっと厳しいかも。豊国神社宮司のお話のように、道の駅的な観光施設は確かに欲しいところです。

豊国神社のある中村公園には2016年に建った初代中村勘三郎の銅像もあります。「初代中村勘三郎(1598?~1658?年)は創作踊りの猿若舞から猿若勘三郎と名乗り、江戸で人気が出て江戸歌舞伎の開祖と呼ばれる。1651年頃から中村勘三郎と、誕生の地・中村を名乗るようになった」とのこと。歌舞伎の中村屋の中村はここ中村の中村だったのです。祖父の兄が秀吉家臣の武将中村一氏という説もあるようです。信長・秀吉・勘三郎、江戸歌舞伎もあの時代の尾張出身の人が作ったのですね。

前回書いたように中村公園のあたりは「上中村」です。そこで秀吉の話が残る少し南の「中中村」「下中村」あたりへも足を伸ばしてみたいところです。豊国神社の参道を南に進むと太閤通の大きな五差路交差点へでます。巨大な赤い鳥居が有名ですね。この鳥居は高さ24m。京都の平安神宮と同じ高さとのこと。

そこからさらに南に行くと千成通りと交差する豊国通4があるのでそこを東へ折れ、しばらくいった千成通り4の交差点の南に日吉公園があります。このあたりが中村という古い集落の南の外れ。狭い道、広い道が混在し古い町であることが感じられます。日吉公園には日之宮神社(古くは日吉権現)があり、ここは秀吉の母が秀吉が生まれる前、男子を願ったという神社で、日吉丸という名はここから取られているという話です。昔はここに生誕の碑があったという話も耳にしました(中村区日ノ宮町1丁目)。



木下氏に関連する墓石があるが、真宗寺院でもあり、大政所の菩提寺とは思えない西光寺
300mほど北へ行くと押木田公園の中に下中八幡社があります。ここは源為朝によって1156年に創建されたとされ、秀吉の氏神だったとも。その北には曹洞宗の薬師寺があり、小田原合戦後に秀吉が立ち寄ったとの話があるそうです。さらにその北の真宗大谷派西光寺(中村中町3丁目22)は、秀吉の母の菩提寺ともいわれているそうですが、史料はないようです。そのあたりに秀吉の父とされる木下弥右衛門の屋敷跡などもあったようですが、今は新しい建物が増えて、よくわからなくなっているのが残念です。このようにこのあたりにもいろいろ秀吉の痕跡がありますので、中村公園まで来たら、ぜひこちらへも足を伸ばしてみてください。クルマは中村公園に駐車場がありますし、地下鉄なら中村公園駅(大鳥居のあるところ)がどこへ行くにも便利です。