2016年6月17日

さすが上手い、白熱の殺陣
永禄3年(1560年)5月19日に桶狭間の合戦がありましたが、これは現在の暦にすると6月12日です。今年この日は、日曜日。ということで河村名古屋市長がやるぞと気勢を上げたのが「桶狭間の戦い」再現イベントです。
合戦当日の信長の動きと同じ時間に同じことを同じ場所でやるという歴史好きにはたまらないイベントです。昨年11月29日に東海合戦ワールドという愛知県のイベントに合わせて同様のイベントが行われましたが、今回は6月12日という日に名古屋市が単独で実現させることになりました。ということで緑区の桶狭間古戦場公園がメイン会場となります。

清洲城での出陣シーン
清州城のスタートは日の出前の午前4時。こんな時間からスタートするイベントはちょっとありませんから、スタッフは大変だったことでしょう。
まだ暗い清州城で市長のいつもの「やけくそ一発大逆転」挨拶から始まり、再現劇は名古屋おもてなし武将隊に加えて、今は解散してしまった清洲城武将隊桜華組、長久手武将トラベラーズからも旧メンバーが復活登場。
濃姫や柴田勝家も加わった豪華な布陣となりました。おもてなし武将隊は信長役が交代し、イケメンかつ渋めのまさにツボにはまった新しい信長です。バスツアーも用意されており、11月よりはるかに多い観客はこの信長がお目当てのよう。

真ん中には河村名古屋市長(苦笑)
だんだん明るくなる清州城で、信長公記の記述そのままに、敦盛を舞い、具足をつけ、立ったまま湯漬けを食べ、馬に乗って出陣する信長。セリフもカッコよく決まります。甲冑はなぜか南蛮具足ですが、まあそれもご愛嬌。
ドラマを盛り上げるナレーションは名古屋の日本舞踊西川流四世家元の西川千雅氏で、これがなかなか雰囲気をを盛り上げました。朝焼けの清洲城を背景にしてのフォトセッションでは、観客は順に入れ替わりながらベストの撮影ポジションに移動でき、子供を連れた家族連れも、いい写真が撮れて満足の様子でした。

史実では信長は熱田神宮まで13キロほどの道を3時間もの時をかけて移動しています。陣触れを出し、尾張各地から親衛隊を召集するにはそんな時間がかかったのでしょう。午前8時に熱田神宮で戦勝祈願をしますから、同様に今回もこの時間に再現劇が始まりました。
ここでは祈願中に鎧の音がしたとか、通貨を投げて全部表になったとかのエピソードを交えていますが、それも信長による勝利への演出だった、というオチになっています。
清須から一緒に移動した観客に加え、神宮の一般参拝客も加わって、見ている人はかなりの数に膨れ上がりました。信長塀の前でのフォトセッションのあと、メイン会場である緑区の桶狭間古戦場公園へ移動です。

新しい役者に代わった信長の人気は上々のよう

各地の甲冑隊が行列に参加
古戦場公園の広場に作られた野外ステージでは、11時から地元の和太鼓演奏や武将とゆるキャラのショー、地元新人アイドルグループのパフォーマンスなどがあり、12時半からは義元の首実検が行われた長福寺から武者行列がスタート。400mほどの短い距離ですが、愛知県各地の甲冑隊が集まっており、なかなかの迫力です。
そして1時から合戦再現劇スタート。登場するのはいつも殺陣の練習をしている役者の皆さんだけあって、迫力ある合戦シーンが再現されました。

義元が討ち取られる場面

14時半からはDJのクリス・グレン氏とベストセラー歴史作家明智憲三郎氏、そして後半には武将隊の信長も加わってのトークセッション。時間が短めで歴史ファンとしてはやや物足りない感はありましたが、一般の人の集まったイベントゆえ、これで十分なのかもしれません。
というのも何人かの来場者と話をしたところ、やはりまだまだ桶狭間合戦の事をよく知らない人が多いという印象でした。そういうこともあってか、会場で私の本を売りましたところ、これがけっこうよく売れましたw

アイドルも一緒に勝鬨!

世にも珍しい信長と義元のツーショット
清洲城からずっと参加した人は多くなかったのですが、古戦場公園にはかなりの人が集まりました。とはいえ、駐車場はなく、有松駅から遠い古戦場公園へ来るのはなかなか簡単ではありません。有松駅から私が正面攻撃説として書いた道とほぼ同じ道が会場までの順路としてガイドされていましたが、徒歩30分はかかってしまうでしょう。
知識を得てから歩くととてもためになるのですが、このアクセス問題が緑区の古戦場を観光地にする場合の課題です(長くなりましたので次回へ続きます)。