ツアーのご報告

25年3月24日、信長勢が義元めがけて進んだ攻路を、ガイドして歩きました

七ツ塚を見学中の皆さん3月24日にローズ倶楽部の現地講座として、名鉄左京山を起点に午後1時から、信長の桶狭間までの進路を歩きました。途中、参加者の皆さんといろいろお話しましたが、やはり信長の方が優勢だったという話には皆さん驚かれていました。...
中日Web「尾張時代の信長をめぐる」過去記事 

第170回 私が「歴史探偵」で言った「大高城はエサだった」が「どうする家康」でそのまま採用されていました。でも桶狭間の戦いの新説までは至りませんでした…

2023年2月14日大高城は北側(JR大高駅方面)のこの碑がある場所から城址へ入れるが、道はわかりにくいさて、今回も「どうする家康」についてですが…1月29日に放送された第4回でなんと、21年9月に私がNHK「歴史探偵」に出演してお話しした...
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第169回 始まりました「どうする家康」。でもやっぱりちょっとここは違うかな、というあたりを

2023年1月17日私の『若き信長の知られざる半生』は株式会社ぴあの発行。A5版164ページオールカラーで税込み1650円。お求めは書店、ネットでさて、いよいよ期待のNHK大河ドラマ「どうする家康」が始まりました。第1回を見終わって、桶狭間...
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第168回 永禄2年(1559)、信長は初めての上洛の時、大和路を使ったのではないか

2022年12月6日城址碑右手の山頂が鍛冶坂城跡。信長側室、坂氏(信孝の母)の出身地と思われるいよいよ私の新刊『若き信長の知られざる半生』が12月20日に発売と相成りました。発行は株式会社ぴあです。税込み1650円。これまでこの連載で書いて...
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第167回 間違ってました。中村区にあった稲葉地城の城主は、信長の伯父信光ではありません

2022年11月7日名古屋市中村区城屋敷町4丁目10−1にある稲葉地城址(神明社)実は現在、12月末の発売を目指して『若き信長の知られざる半生(仮題)』という単行本を書いています。信長が生まれてから桶狭間の戦いに至るまでを毎年ごとに解説した...
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第166回 浮野古戦場と生駒屋敷は意外に近い。何か関連があるのかも

2022年10月4日浮野古戦場跡。案内看板やパンフレット配布など、浮野古戦場史跡保存会のご活動です9月の17日に、鳴海中日文化センターの私の講座で、浮野の戦いの現地歩きに行ってきました。この連載で浮野合戦に関して書いたのは、もう9年も前のこ...
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第165回 「大軍だが、どうする家康?」「秀吉には信長様の小牧山城を攻めることなどできまい」

2022年8月29日復元された小牧山城の三段石垣。安全のため、石は上まで積まれてはいない石垣の全貌は展示プレートで説明されている発掘された小牧山城の石垣が復元されている、というお話、紹介するのを忘れてました。というより、私自身、まだ見に行っ...
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第164回 稲生の戦いは、信長兄弟の家督争いではなく、国内の今川勢との決着をつける戦いだった

2022年7月26日合戦の死者を祀った庚申塚のある稲生原古戦場跡毎月1回、第1土曜日に開催している鳴海中日文化センターでの信長講座ですが、講座と現地探訪がセットでして、講座の翌月は現地に行くことになっています。6月は「稲生の戦い」の座学をし...
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第163回 キムタク信長映画『THE LEGEND & BUTTERFLY』では濃姫がずっと正室のようですが、本当の正室は生駒家の娘だと思います

2022年6月25日久昌寺の生駒家の墓所には一番右側に久菴桂昌大禅定尼の墓が残る昨年から話があった東映70周年記念作品『THE LEGEND & BUTTERFLY』(2023年1月27日公開)の情報がやっと解禁されました。制作費20億円と...
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第162回 豊明市で新たに「歴史民俗資料室」がオープン。古戦場伝説地の現地ガイドとは異なる内容の展示となっていますが、さて…

2022年5月30日「桶狭間の戦いに関して」のみが展示された豊明市の歴史民俗資料室の一室旧暦5月19日、新暦なら6月12日、つまり今から462年前、1560年のちょうど今頃、桶狭間の戦いがありました。毎度ながらこの戦いに関して私は、かぎや散...
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第161回 GWを利用して信長の城を一気に見て回り、その心境を想像してみよう

2022年4月29日岐阜城から岐阜駅方面の眺望。天下を取った気分になれるゴールデンウィークなら、一気に若き信長の城を回ってその城での信長の心情を察してみる、などということもできそう、とこんな企画を考えてみました。勝幡城→那古野城→清洲城→小...
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第160回 水野がわかれば信長がわかると水野が思う、という次第

2022年4月13日水野信元の墓は緒川ではなく刈谷の楞嚴寺にある。簡素な墓碑が寂しい若き織田信長の話では、重要な人物として緒川(知多郡東浦町)の水野信元という人が登場します。信長の父信秀とも友好関係にあり、信長や家康の出世には大きく寄与した...
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第159回 ウクライナならぬ「カサデラ」は大国スルガからの侵攻を受けていた

2022年3月13日長楽寺境内にある旧今川領の立て看板。この橋の向こう側は織田領ということになる明治初期と現代の地図。明治初期の地図なら笠寺が半島状態だったことがよく分かるだろう呼続3丁目の熊野神社にある1766年に松巨嶋と掘られた手洗い石...
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第158回 柴田勝家らが取り囲んだ守山城は、洪水で山が崩れて今の地形となった

2022年2月7日矢田川橋のあたりから北西方面を撮影。右側の緑が守山城址、左側の緑が柴田勝家が陣取ったと考えられる木ケ崎。今は間を矢田川が流れていますが、当時は左右の緑地が地続き、間に守山城の外堀がありました名古屋市守山区の矢田川沿いにある...
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第157回 沓掛城は本当に今の位置にあったのか、現地をもう一度めぐってみた その2

2022年1月11日豊明市の桶狭間古戦場伝説地にあるガイド看板を見ると、ここが沓掛城から近いことがよく分かる。江戸時代の人は納得したことだろうさて、前回、江戸時代の中期ごろになって山崎真人という人が「(戦いの前日に)今川義元が大高へ行ったと...