水野誠志朗

尾張時代の信長をめぐる 過去記事 

第16回 初陣以来9年ぶりに三河吉良(西尾)へ侵攻した22歳の信長

2013年2月10日1556年(弘治2年)、この年信長は満22歳になります。清須城の信長は尾張下四郡(海西、海東、愛智、智多)を名目上支配していることになっています。(※笠寺界隈で優勢になり、このころまでに今川勢をかなり押し返していることは...
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第15回 清須城に入っても大ピンチの信長、叔父を暗殺して生き残りを図る!?

2013年2月1日1554年4月についに清須城に入った信長ですが、尾張の支配は、まだほとんどといっていいほどできてはいません。整理してみますと、尾張八郡の内、広い上四郡は岩倉の織田大和守家が引き続き抑えています。(※この見方は近年見直しが進...
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第14回 弟秀孝、庄内川で誤射殺される。怒りの信長、現場へ一騎駆け

2013年1月22日今回はまたまた1555年(弘治元年)、信長満21歳のお話です。この前年、叔父の信光が謀略でもって清須城を乗っ取ってくれたのが4月のことでした。その結果、信長が尾張の首都ともいえる清須の城へ入り、信光は信長のいた那古野城へ...
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第13回 織田信光の守山城は、徳川家康の祖父が殺された場所でもあった

2013年1月11日1555年(弘治元年)4月、叔父信光のおかげでまんまと清須城に入った満20歳の信長。1563年7月に小牧城へ移るまで、8年間の「清須城信長」の時代となります。桶狭間へもこの城から出陣しました。さてこの「清須城」ですが、「...
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第12回 信長といえば清須城、でも実は乗っ取りで手に入れたのでした

2012年12月31日先の清須中市場の戦いで手勢をすっかり失ってしまった守護代の織田信友と家老の坂井大膳は清須城にこもっていましたが、このままではまずいと、信長の叔父で守山城城主の織田信光に「信長を裏切って清須で守護代になってくれ」と誘いか...
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第11回 長槍が強さの秘密。清須中市場の戦い

2012年12月19日若き信長といえば連想されるのは那古野城より清須城でしょう。信長は満20歳のときに清須城へ入りました。当時の尾張の首都ともいえる清須へどうやって攻め込んだのでしょうか。実は攻めこんではいないのです。ちょっと陰湿なやり方と...
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第10回 「であるか」、19歳の信長、斎藤道三を唸らせる

2012年12月11日赤塚、萱津、村木砦での見事な戦いぶりで、もはや尾張のたわけなどというものは誰一人いなくなった信長はその時、満20歳になっていました。いよいよ父信秀を継ぐものとして内外から認められ、尾張全土を牛耳る為に動き始めていました...
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第9回 初めて鉄砲連射を行った村木砦の戦い

2012年12月1日若き信長の戦いで、大変重要なのにほとんど知られていないのが村木の戦いです。この戦いで信長は、尾張領土である知多半島に侵攻してきた今川勢に対し、「鉄砲を連射」して勝利を収めました。鉄砲連射というと長篠の戦いが有名ですが、そ...
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第8回 柴田勝家登場! いよいよ始まった清須攻め、萱津合戦

2012年11月23日愛知県内の古戦場で、あまリ知られていないのがあま市の萱津古戦場でしょう。尾張四観音のひとつ、甚目寺観音にも程近いここで合戦があったのは、1552年のこと。信長が弾正忠家家督を継いでから最初の謀反であった赤塚の戦い(先回...
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第7回 信長18歳、初めての大きな戦い、赤塚の合戦

2012年11月16日尾張の実力者だった父、織田信秀の死後、その家督を継いだ弱冠18歳の信長。今と違って当事の18歳は十分大人のはずですが、それでも老獪な親族や地侍勢をまとめるには、まだまだ若輩だったようです(近年では信長は今川との交戦を望...
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第6回 三河大浜へ初陣を飾ったうつけもの信長、父信秀の家督を継ぐ

2012年11月3日那古野城で育った信長ですが、1547年満13歳の時にいよいよ初陣を飾ります。信長の伝記『信長公記』には、駿河勢(今川方)の軍が入った吉良大浜へ向かい、手勢を指揮してあちこちに火を放ち、その日は野営して、翌日那古野へ帰った...
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第5回 信長元服の古渡城、父の末盛城、柴田勝家の下社城

2012年10月17日今回は信長のお父さん、信秀のお城を紹介しましょう。信秀から与えられた那古野城で成長した吉法師(信長の幼名)は、1546年に満12歳で元服して、織田三郎信長と名乗ることになりました。元服式の場所は父信秀の古渡城です。この...
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第4回 信長の時代、岐南町や羽島市は尾張だった

2012年10月6日信長の若いころ、尾張は今より北に広く、南に狭かったのですが、御存知でしたか。当時、尾張と美濃、尾張と三河の間には「境川」という川が流れていました。そこが尾張と美濃、三河の国境(くにざかい)でした。まさに両国の境の川ですか...
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第3回 信長が育った那古野城、泳いだ庄内川

2012年9月28日信長は満4歳頃に那古野城へ入りました。兄が二人いたのですが庶子ということで、三男ながら正妻の子である信長が「家を継ぐ」こととなり、母親とも引き離されて英才教育が施されたようです。家老は林秀貞や、平手政秀ら4人。満20歳で...
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第2回 信長生誕地の勝幡と、経済力を支えた津島

2012年9月14日信長は1534年(天文3年)に生まれたとされています。では生まれたのはどこでしょうか。それを知るにはまず信長の父、織田信秀を知ることが必要です。織田信秀という人は尾張下四郡(しもよんぐん=愛智郡、智多郡、海東郡、海西郡)...