中日Web「尾張時代の信長をめぐる」過去記事 

第9回 初めて鉄砲連射を行った村木砦の戦い

2012年12月1日若き信長の戦いで、大変重要なのにほとんど知られていないのが村木の戦いです。この戦いで信長は、尾張領土である知多半島に侵攻してきた今川勢に対し、「鉄砲を連射」して勝利を収めました。鉄砲連射というと長篠の戦いが有名ですが、そ...
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第8回 柴田勝家登場! いよいよ始まった清須攻め、萱津合戦

2012年11月23日愛知県内の古戦場で、あまリ知られていないのがあま市の萱津古戦場でしょう。尾張四観音のひとつ、甚目寺観音にも程近いここで合戦があったのは、1552年のこと。信長が弾正忠家家督を継いでから最初の謀反であった赤塚の戦い(先回...
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第7回 信長18歳、初めての大きな戦い、赤塚の合戦

2012年11月16日尾張の実力者だった父、織田信秀の死後、その家督を継いだ弱冠18歳の信長。今と違って当事の18歳は十分大人のはずですが、それでも老獪な親族や地侍勢をまとめるには、まだまだ若輩だったようです(近年では信長は今川との交戦を望...
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第6回 三河大浜へ初陣を飾ったうつけもの信長、父信秀の家督を継ぐ

2012年11月3日那古野城で育った信長ですが、1547年満13歳の時にいよいよ初陣を飾ります。信長の伝記『信長公記』には、駿河勢(今川方)の軍が入った吉良大浜へ向かい、手勢を指揮してあちこちに火を放ち、その日は野営して、翌日那古野へ帰った...
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第5回 信長元服の古渡城、父の末盛城、柴田勝家の下社城

2012年10月17日今回は信長のお父さん、信秀のお城を紹介しましょう。信秀から与えられた那古野城で成長した吉法師(信長の幼名)は、1546年に満12歳で元服して、織田三郎信長と名乗ることになりました。元服式の場所は父信秀の古渡城です。この...
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第4回 信長の時代、岐南町や羽島市は尾張だった

2012年10月6日信長の若いころ、尾張は今より北に広く、南に狭かったのですが、御存知でしたか。当時、尾張と美濃、尾張と三河の間には「境川」という川が流れていました。そこが尾張と美濃、三河の国境(くにざかい)でした。まさに両国の境の川ですか...
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第3回 信長が育った那古野城、泳いだ庄内川

2012年9月28日信長は満4歳頃に那古野城へ入りました。兄が二人いたのですが庶子ということで、三男ながら正妻の子である信長が「家を継ぐ」こととなり、母親とも引き離されて英才教育が施されたようです。家老は林秀貞や、平手政秀ら4人。満20歳で...
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第2回 信長生誕地の勝幡と、経済力を支えた津島

2012年9月14日信長は1534年(天文3年)に生まれたとされています。では生まれたのはどこでしょうか。それを知るにはまず信長の父、織田信秀を知ることが必要です。織田信秀という人は尾張下四郡(しもよんぐん=愛智郡、智多郡、海東郡、海西郡)...
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第1回 信長には専属伝記ライターがいた!? 

中日新聞のwebサイト『達人に訊け』が閉鎖となりましたので、2012年9月4日から連載を始めた信長記事を、こちらで再録します。10年以上前の記事ゆえ、現在の研究と齟齬があることもありますので、訂正を加えている事を御了承ください。2012年9...
各年の出来事

天文十八年の信長初出文書における藤原姓について

信長満十六才の天文十九年1550年 その2信長の知られている初出文書が、天文十八年十一月□日の熱田八ヶ村あての制札で、ここでは藤原信長を名乗っている。織田氏の祖先に関しては様々な研究があるが、はっきりしないのが現状だ。信長は藤原や平を文書で...
各年の出来事

家督相続というより今川対策の結果の家督分け

信長の家督相続の事情
各年の出来事

桶狭間までの信長の歴史を書くにあたって

ブログを書くにあたっての思い